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【最新作云々㊺】"日常"に勝るドラマ無し!! 耳の聴こえない女性プロボクサーがままならない日常のノイズに怯えながらそれでも下町の空の下で日々の積み重ねを生きる人生応援映画『ケイコ 目を済ませて』

 結論から言おう!!・・・・・・こんにちは。(●´д`●)
 昨晩、家の近所をランニングしていたら、とある大通り沿いの個人経営の小さな居酒屋の脇のゴミ置き場にドデカいプーさんが二体置かれていて思わずビックリ声を上げてしまった、O次郎です。

それがコチラ!! 画像だとあんまり大きく見えないけど全長60~70㎝ぐらいはありました。
なんか行き倒れの二人みたいで怖い……夜中だったからなおさら。
ちなみにグーグルマップでその居酒屋さんの口コミを見てみると、
2Fが子ども向けのぬいぐるみ等も置かれたパーティー席になっているそう。
おそらくはそこで使っててクタクタになった彼らを引退させたんでしょう、ということで。


 今回は最新の邦画『ケイコ 目を澄ませてです。正式な公開日は今週末12/16(金)ですが、先日当選した試写会にて一足先に鑑賞させてもらいました。
 実在の耳が聞こえないプロボクサー小笠原恵子さんの自伝を原案とした三宅唱監督の最新作
 主人公の人物像からして、ともすれば"耳が聞こえないことによって生まれる苦悩と感動のドラマ"を想像してしまいますが、そこは独特の話運びと映像センスを持ち合わせた三宅監督らしく、劇的な出来事ではなく起伏の乏しい日常の積み重ねを、明光風靡な景色ではなく下町の何気ない片隅を、敢えてデジタルではなくしかも情報量の少ない16㎜フィルムで撮影した"日々の一回性"を大事にした稀有な作品に仕上がっています。
 主人公の持つハンディキャップを強調はせず、本来であれば最大の盛り上げ場でカタルシスとなるべきボクシングの試合もあくまで日常と対等かそれ以下ぐらいの比重で語られております。
 作品内容とは対照的に作品が観る者に投げ掛けるメッセージはアンチドラマツルギーとも言える挑戦的なものとなっており、"面白さ"の前提条件を根底から覆すような作りです。
 三宅監督の過去監督作品のどれかにでも不思議と心を掴まれる感覚を味わった方々、一風変わった空気を纏った作品がお好きな方々、鑑賞するか否かの参考までに読んでいっていただければ之幸いでございます。なお、ネタバレございますので悪しからずということで。
 それでは・・・・・・・・・・・・"呪いのフランス人形だゾ"!!

※ひろしさんが会社の同僚からフランス人形を貰ってきたことから野原一家が恐怖に苛まれるお話。
冒頭のゴミに出されていたプーさんを見て本作を思い出しました。
放送日は1997年8月8日ということで当時僕は小6の夏休み。この年は当時入っていたボーイスカウトの合宿なんかも無く、本放送で観た覚えがあります。
この回はオムニバス3本ともホラーエピソードで幕間のアイキャッチもホラー風味で結構凝ってたんですよね…。(゜Д゜)

※ちなみに10年ほど前にソフト化もされてるので視聴は容易。視聴者リクエスト企画の傑作選DVDへの収録なので、そんだけみんな記憶に残ってたってことでしょうね。



Ⅰ. 作品概要と監督について

 本作のモデルの小笠原恵子さんのWikiを見るとボクサーとして試合をされたのは2010~2013年。実際の時代と10年ほどの差がありますが、本作は彼女が2戦目を終えた後の12月から3戦目を戦った翌年2月までの物語です。


 自分がこれからどう生きるべきかどう生きていきたいか…家族の心配や周囲の人間の煩悶といったノイズに惑いながらも、

・日中のビジネスホテルの仕事
・夜のボクシングジムでの稽古
・弟とのルームシェア共同生活
・早朝のロードワーク

という自らが自らを規定するために課した日常生活の積み重ねの中で自分の行く末を模索し、周囲の変化も受け止めつつ少しずつ軌道修正をしながらまた日常を生きていく…。

 あまりにも普通の物語というか、文面だけで想像するにこれで劇映画作品になり得るのかというぐらいのスパイスの無さですが、これが得も言われぬ面白さなのです。日を重ねる日常の重みとでも言いましょうか。


 監督の三宅唱さんは,独特の空気感の画面と,描かれる何とも掴み処の無い人間模様がなんとも心に焼き付けられます。

きみの鳥はうたえる』(2018)
互いに気兼ねしない間柄の同居人3人の夏のひととき。
執着の無い緩い関係性が緩やかに瓦解していく様がなんとも言えない寂寥感。
ラストの石橋静河さんの涙が脳裏に焼き付く…。
呪怨:呪いの家』(2020)
Netflixのオリジナルドラマシリーズ。
関わった人間が皆尋常ならざる不幸に見舞われる家にまつわる怪異と人間の業を
ジャーナリストが取材する。
悉く人間不信を誘発させられるような不穏な人間模様が展開されながら
最終的に何一つ合理的な解決を見ない投げっ放しジャーマンが最高!!

 本作ではその極めてオフビートな物語に沿うように画と音も非常にソリッドであり、画については荒川の下町の朝昼夜の冬の寒々しい端々、水面をゆっくり流れる漁船とそれが潜る橋の欄干など、あくまで造りの無い未脚色の現実そのままの一景一景ながら不思議と心に染み渡ります。

言うなれば己の見る景色の美醜はその捉え方によるところが大きく、
取り立てて美化せずとも見方を変えればあら不思議・・・
というところで高畑勲さんの背景美学に通ずるところもあるかも。

 そして音楽がほぼ使用されていないことを忘れるほどの全編を通してのやや強調された環境音の数々。
 主人公が耳が聞こえないということでそこに感情移入するために音を排していく方向が正しいように思われますが、彼女の日々の煩悶や疎外感、焦燥を追体験するには逆説的ながら没入感を感じました。

 本作で主演された岸井ゆきのさんは撮影前に三か月間ボクシングをみっちり特訓されたそうですが、三宅監督もそれに付き合われたとか。

本来なら俯瞰して物語を面白く組み立てるために一歩引くところでしょうが、
モデルの小笠原恵子さんの境地に肉薄するアプローチ。
それからしても感覚を大事にするアーティスティックな監督ということで、
その感性を最大限生かすためにドラマ性を大胆にオミットしている
思いきりとバランス感覚が何より非凡な才能ではないでしょうか。

 以下、そんな監督による日常の迫力を凝縮させた物語です。



Ⅱ. ケイコの日常のあれやこれや

 ケイコは日中はホテル従業員として働き、夜はボクシングジムに通う日々を送っています。
 耳が聞こえない状況ではありますが、もっぱら手話で会話するのはルームシェアしている弟だけであり、職場では同僚のおばさんが多少手話ができるぐらいであとのやり取りは身振り手振りと筆談、ボクシングジムでの練習についても特段手話が出来る関係者はおらず、簡単な挨拶の手話が交わされるぐらいでやはりホワイトボードでの筆談とボディランゲージでのやり取りが常です。
 とどのつまり主人公のハンディキャップに周囲が多分に配慮している風ではなくあくまで自然体で接しており、彼女の側もまた、気負うことなく周囲とやり取りしており、例えば弟のガールフレンドが彼女と会話するために手話を覚えた様を見せたりしてもとりたてて謝意を示したり居心地の悪さを見せたりすることはありません。

ルームシェアしている弟(演:佐藤緋美さん)とのひと時。
シビアな勝負の世界に身を置いている姉を尊敬しつつも、
一方でその煩悶を突くような根本的な問いを投げかけることもあり、
やり取りの中で彼女が苛立ちを募らせる場面もしばしば。

 とりわけ物語となると障害を多分に際立たせて描く印象がありますが、本作では彼女を構成するエッセンスの一つでしかありません。例えばコンビニで店員さんからカード示しつつ「ポイントカードお作りになりませんか?」というテンプレのサジェストが聞こえなくても身振りで断れば事足りますし、店員さん側も"不愛想な人だな"ぐらいは思うかもしれませんがそれで終いです。
 言い換えれば殊更に"耳が聞こえない"ことを示さなくても日常生活における様々なコミュニケーションは成立するということであって、"不自由"を念頭に考えてしまうのは偏見かもよ、と監督に衝かれているかのようです。

 そしてボクシングジムでの日常とジム生たち。
 戦後直後期に建てられたという古ぼけたジムに通っているのは気の良い普通のアンちゃんたちばかりで、ケイコただ一人が彼らに交じって練習を積んでいるわけですが、異化も同化もされません。
 ミット打ちもコンビネーションも彼女にはジェスチャーと筆談で伝え、試合となれば予め決められたサインを出すことで彼女に指示を出します。
 序盤の試合で辛くも判定勝ちした後のインタビューにて記者からの質問に会長が答えます「才能は無いかなぁ。…だけどね、なんというか人間的な器量があるんですよ」と。
 ケイコは愛想笑いをすることはなく、楽しい時にこそ笑い、苛立ちを隠すこともしません。それは言い換えれば自分に真摯に生きているということであり、日課の早朝のランニングも男性顔負けの練習量もそこに嘘がないことがわかります。

 そうした彼女の誠実さを見ているからこそ周囲も変に気遣ったりすることなく真正面から向き合い、言葉に出来ないながらも彼女にどこか一目置くところを感じるのでしょう。
 それが新参者にとってはいささか奇妙に映って「女にばかり構ってる」とジムを辞める口実に使われたりもしているのですが。

 ちなみに本作は劇中で交わされる手話の内容の提示の仕方も独特であり、例えば弟との手話は合間に真っ黒な画面に白文字テロップが入って明確に読ませたり、またある時は普通に洋画の字幕のごとくそのまま画面下にテロップが出ることもあり、場面場面によって印象を異にしています。

耳が聞こえない同士の友だち(おそらくは高校の頃の同級生でしょうか)との
手話会話は全くテロップ等示されず内容がわかりません。
しかしながら嘘のつけないケイコが笑っている数少ない場面であり、
安堵させられる雰囲気は間違いなく伝わります。

 
 弟との会話で「人は一人でしょ?」と突き放した感覚を示しながらも言いようのない孤独と焦燥を日に日に強めていくケイコ。
 黙々と日常を積み重ねながらもボクシングを続けることに疑問を抱き始めるのですが、大きな事件の無い一日一日を主軸に描いているからこそその中での小さな変化と軋みへの不安感が伝わってきます。

その最たるものが通っているジムの閉鎖予定。
自分を受け入れ自分が受け入れた環境を捨てて拳闘を続けるのかそれとも…。
ジム生の減少と経営状態の悪化もありますが、会長の目を体調の悪化が最大の原因。
会長はケイコの迷いを見抜いて「次の試合を断ってもいい。中途半端だと危険だし、
相手にも失礼だ」と諭します。それというのもまさに自分自身の衰えと尻込みと
重ねたからではないでしょうか。

 そこから彼女はまた毎日を積み重ねながらゆっくりと戦う意義を見つめ直し、次の試合までの毎日を重ねていきます。
 結果としては判定負けを喫してしまうのですが、それは大きな問題ではなく、自分の気持ちに嘘のない毎日を掴み取ったことが何より重要なのです。
 彼女の試合をリモートで観ていた弟も母も彼女の器量をあらためて認め、脳溢血で倒れて病床に在った会長はそれからのつらく単調なリハビリに勤しむ決心を固めたようです。
 
 ラストはまた一日一日の早朝のロードワーク。そこで偶然にも出会った直近の試合の対戦相手の女性と挨拶を交わし、刺激の強くないしかし軽視出来ない日常に戻っていく。
 "誠実に生きる"ということは一見して変わり映えのない毎日をきちんと丁寧に積み重ねていくこと…そういう普遍的なメッセージを真正面から描いているからこそ起伏の無いストーリーでもここまで胸に迫るのだと思いました。

日日是好日』(2018)
茶道とはすなわち生き方・・・。
こちらも一日一日を生きる得も言われぬ力を感じます。


Ⅲ. おしまいに

 というわけで今回は最新の邦画『ケイコ 目を澄ませて』について語りました。
 漏れてしまいましたが、朝の寒々しい空気や日中の陽光、単調ながらもどこか温かい夜景が風景としてはどうしようもなく普通なのですがどうしようもなく脳裏に残ります。

作中で幾度も強調される"リズム"。
それはボクシングの型のみならず日々の生活の生き方でもあり。


 こうした会長との何気ない日々も二度とは戻らない光景となったのかもしれません。失ってからその尊さに気付くなどということはあまりにも多いですが、それを知ってもそれからの一日一日を大切にするということは誰しもできることではありません。
 だからこそ音も風景も時間経過もフォーカスさせつつされど誇張はさせずに提示した現実の凄みを知らしめてくれる一本でした。
 今回はこのへんにて。
 それでは・・・・・・どうぞよしなに。




※公演がいよいよ来週末に迫っておりまして・・・もしよろしければ。

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