【90年代あれこれ⑫】~極私的小咄~ 少年期の国語や道徳の授業で印象に残った児童文学作品5選
結論から言おう!!・・・・・・こんにちは。
昨晩、出先で入った公衆トイレの鏡が割れててなんというかもう、ひび割れた鏡に映った私を殺した後…O次郎です。
※ラクリマのインディーズ時代の曲といえばまずは「White Period」ですが、こちらもどうしてなかなか。展開は多くないですがいわゆる"雰囲気曲"ということで。
今回は箸休めというか、いつもの映画の話は置いておいて少年期の昔話の類です。
具体的には主に小学校の国語や道徳の授業、あるいは図書室で読んだ児童文学作品で個人的に特に強い印象を覚えた作品5選です。
ぶっちゃけてしまうと長い文章書いてる時間が無かったのでの急造テーマなのですが、普通の公立の小学校で採用されていた書籍ばかりですので、僕と近いアラフォー世代の方々(ちなみに昭和60年生まれです)にはひょっとしたらそのものズバリ知っていらっしゃる方もあるかもしれませんし、それ以外の世代の方には"こんな作品が教材に載ってたのね"と軽い気持ちで読んでいっていただければ之幸いでございます。
それでは・・・・・・・・・・・・"たぬき汁にされてしまうで~"!!
Ⅰ. 少年期の学校生活で印象に残った児童文学5選
その一、 『えいっ』 作: 三木 卓先生 / 絵: 高畠 純先生
記念すべき小学校一年生の国語の教科書の最初の作品!!・・・だったと思います。
内容は、街に買い物に出てきた親子が横断歩道に差し掛かった際、お父さんが赤信号にタイミングを見計らって「えいっ」っと指差して青信号に変わったのを見た幼い息子が、お父さん魔法使いみたい!!とはしゃぐ、というもの。
読んでる側としては小学校に上がりたての幼児といえど魔法でも何でもないことは解ってるわけで、そうした子どもの気付きというかツッコミ込みで作劇されてたということを考えるとなんともはや、というところです。
※ちなみに上記の"日本文化センターテレホンショッピング"ネタのCMはこちら。夏休みの午前中のアニメ再放送枠の幕間CMとしてよく流れてたのよね。
また当方、関西出身ですのでCmラストのお電話番号は"おおさか06~♪ 584の2222~♪ にほ~んぶんかせんた~ぁぁ♪"でした。
・・・我ながらよく覚えとる。( *¯ ꒳¯*)
その二、 『やまなし』 作: 宮沢賢治先生 / 絵: かすや昌宏先生
おそらくは"宮沢賢治文学は難解でわからんちんや~"というイメージというかアレルギーを植え付けられた、いわば宮沢ファーストコンタクト作品。
クラムボンの生態が淡々と綴られていますが、そもそも"クラムボン"って何ぞ?という問いで止まってしまってるからには授業ではそこは解説されなかったというか、そもそもそこは重要ではない、みたいな結論だったのかも・・・授業内容は覚えてないけどこの独特の文体がフックとして残っていた、というのが国語の教科書に採用された答えなのでしょうか。
ちなみにこの教材も小学校1,2年ごろに学んだ筈ですが、小学校高学年の頃に図工の特別出張授業で"粘土を高温で焼いた陶器の置物を作れる"ということでみんな思い思いの造形に取り組んでおり、その中の男子一人が「僕はクラムボンを作る!」と。
具体的な造形は教科書で示されていなかったので彼のオリジナルということでみんな興味津々でしたが、満足そうに仕上げた彼の手にあったそれは『ゴーストバスターズ』のマシュマロマン的なモンスターでした。
形のオリジナリティー云々はさて置き、元の文面からして蟹というか水生生物を想像していたのでみんなキツネにつままれたようなリアクションでした、とさ。
その三、『握手』 作:井上ひさし先生
僕の世代には『ひょっこりひょうたん島』(ただしカラー版)で有名な井上ひさし先生の短編作品で、孤児院出身の男性が成人後にその院長であるルロイ修道士に請われて再会する、というお話。
記憶では小学校の国語教材でしたが、どうやら中学生用の教材だったようで。
それもそのはずというか、ルロイ修道士の手の指の爪が異様に変形している("かつて戦時中にスパイ容疑か何かで濡れ衣かけられて警察から拷問を受けた"と当時の院の子どもたちは推察していたものの真偽は不明)とか児童虐待をテーマとして扱っていたりとかなかなかにハード。
喫茶店か何かで二人が再開して昔話や世間話に花を咲かせながらルロイ修道士と握手をしてお別れするまでの話なので時間経過としてもごくごく短い話なのですが、
僕「孤児院を運営していて嬉しいときは?」
ルロイ修道士「院を巣立った子どもたちが元気に社会で活躍しているのを見た時です」
僕「それでは孤児院を運営していていっとう悲しいときは?」
ルロイ修道士「孤児院の出身者が社会に出て結婚して子どもを作り、その子をまた孤児院に連れて来られた時です。何も親子二代でここに来ることはないのです。」
といったやりとりがなんとも印象的でした。
ルロイ修道士はその後、間も無くして病没してしまうのですが、己の死期を悟ってかつての自分の教え子たちを訪ねて回っていた、というのがなんとも居た堪れないところで。
後になってから井上先生のDV問題を知った際には本作の優しく穏やかな内容との隔絶を感じて秘かにショックを受けたものです。
その四、 『赤い実 はじけた』 作: 名木田恵子先生 / 作画:三村久美子先生
これは小学校6年生の国語の教材だったのを覚えてます。授業を担当されていたのが何かにつけて僕を目の敵にする6年次の担任の先生だったのを覚えているので…。
内容としては、とある少女が、同学年のクラスメイトの男の子が家業である魚屋のせがれとして学校帰りに一生懸命父親から手ほどきを受けつつ修行している姿を見て胸キュン…という実にシンプルなもの。
※とりあえずブッコミせずにはいられないのがオジさんの性…。
なんかどこぞの宗教のイメージビデオみたいな映像で頭がクラクラ・・・メンバーの皆さんの目もなんか虚ろだし。( ゚Д゚)
しかしながらその多感な少年期を情感たっぷりに記した心理描写は非常にプラトニックで美しく、少女が彼に恋する瞬間を"パチンッ!"という赤い実がはじける音に喩えるくだりはなかなかどうして秀逸でした。
ちなみに小学校の国語の授業では、段落に分けて段落ごとに順番に立って朗読する群読がよくありましたが、上記の「パチンッ!」だけで一段落になっているので、該当箇所を朗読する人は立って「パチンッ!」だけ読んで終わり、っていうのがなんとも滑稽で笑った、という超小ネタも思い出しました。
※なお、『キャンディ♡キャンディ』の裁判についてはこの本が大変詳しいです。当事者へのインタビューなんかも有り。
『オバケのQ太郎』にしてもそうですが、げに恐ろしには女性同士の争い…という。
その五、 『少年の日の思い出』 作:ヘルマン・ヘッセ
中学校(たぶん一年生用?)の現代国語の教材として遭遇。
簡単に言うと、「僕」が幼少期に蝶集めに没頭し、その熱情と嫉妬のあまり友人エーミールの貴重な蝶の標本を盗んでしまい、母の説得を受けてエーミールに謝罪するも彼からひたすら冷淡な態度を取られて恥辱に耐えた、という話。
必至に謝罪する"僕"に対してエーミールが舌打ち混じりに呟く「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」という皮肉たっぷりのセリフはインパクト大であり、本教材を現代国語で学んだ覚えのあるみなさんはきっと当時クラス内でこのセリフが流行った覚えのあることでしょう。
今思い出しても随分な性格のエーミールくんですが、この教材に出会う中学生頃は往々にして屈折したプライドを持つものなので、彼のようなマウント癖のある人は実際の学校生活の中でもたまに居ました。
"少年が取り返しのつかない失敗をしてそこから立ち上がる"のが大人になるということなのであれば本作はまさにその瞬間であり、ジュブナイル小説の典型ではないでしょうか。
番外編、『となりのせきのますだくん』 作:武田美穂先生
ついでというか、教科書の題材ではないけど図書室の小学校低学年向けの本のボクの世代のド定番だったやつです。『ズッコケ三人組』とかもそうだったけどファーストコンタクトのインパクトはということで。
主人公の女の子は彼女にいろいろイジワルをする隣の席のますだくんが大っ嫌い。喧嘩しつつも微妙に関係に変化が現れていく二人。それを受けて恐ろしい怪獣の如きますだくんのビジュアルが・・・。
一年生のかなり最初の頃に読みましたが、ラストカットで子ども心にすごくストンと物語が腑に落ちたのを覚えてます。
この作品を思い出すと、当時授業中にお気に入りのゲームのBGMを小声で唄ってたら隣の席の女の子に注意されて大喧嘩に発展したことの申し訳無さも思い出します。
※たぶんこのBGMだったかな? 順番としては次作の『がんばれゴエモン2 奇天烈将軍マッギネス』を先にプレイしててこの一作目に遡ったんだけど、アクションのバリエーションや操作性はさて置き、博打の楽しさやシビアな難易度とかで一作目は一作目で相応に楽しめたもので。
Ⅱ. おしまいに
というわけで今回は番外編ということで幼少期・少年期に触れた児童文学作品の思い出話でした。
授業以外だと主には図書室の本ですが、上記の『ズッコケ三人組』シリーズ、『シャーロック・ホームズ』シリーズ、『はだしのゲン』、世界の偉人伝シリーズあたりは読んだものの、今思い返すと横山光輝先生の『三国志』シリーズをその年代にきちんと読んでおけばよかったな~と感じたりしてます。
思い出深い作品に思いを馳せると当時何を考えてたとかまでなんとなくフワッと降りてきたりしてなかなか感慨深いものですね。
他に思い出深い作品とそのエピソードなりございましたらコメントいただければ恐悦至極にございます。
今回はこのへんにて。
それでは・・・・・・どうぞよしなに。
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