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【最新作云々52】その罪悪感が私を殺し続ける... 田舎町でのバカンスの総てが生理的嫌悪感に塗り潰されていく厭な映画『MEN 同じ顔の男たち』

 結論から言おう!!・・・・・・こんにちは。
 年に数回程度しか神社仏閣を訪れ敬わないのに「今年一年、平穏無事で過ごせますように」などという大それた願い事をしては"あまりに虫が良すぎる"として逆に神罰を受けてしまうのでは・・・と毎年の初詣には及び腰、なO次郎です。

初詣シーンといえばお正月映画の定番だった『男はつらいよ』シリーズか。
物心ついたのが90年代入ったぐらいで、TV放映は親とよく観てたけど劇場で観た覚えは無し。
リアルの初詣の話に戻すと、プライベートは別として会社で行くのは常なので、
その際は"今年一年自分に起こる出来事全て、自分の普段の言動の結果として受け止めます"という
内心の宣言に留めるようにしてます。( ・ิω・ิ)

 今回は最新の洋画『MEN 同じ顔の男たちです。
 ・・・最新と言っても封切りから一か月近く経っちゃってるんだけどもそこはご容赦をば。(´・ω・`)
 とある事故で心に傷を負った主人公の女性が静養のために訪れたイギリスの田舎街で遭遇する、同じ顔をした男たちの恐怖と怪奇のグロテスクホラードラマ。
 気が強くややヒステリックな面も有る主人公が己の内奥に在る罪悪感から種々の恐怖を引き寄せてしまうのですが、キリスト教的な警句やビジュアルも要所に散りばめられており、特にクライマックスは生理的嫌悪感を触発する強烈なビジュアルが矢継ぎ早に展開されながらも、煙に巻かれたような何とも難解な結末を迎えます。
 その一方で超高精度のカメラで撮られた英国の片田舎の湿っぽい鬱蒼とした自然は美しく、上記の恐怖描写も相俟って理性よりも感性で観るべき作品だと思います。
 一風変わったホラーがお好きな方々、解釈を委ねられる系の難解な作品が好みな方々、読んでいっていただければ之幸いでございます。
 それでは・・・・・・・・・"バートン・フィンク"!!

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※"キリスト教的な素養が必要で難解"という括りで思い出したのがこの一本。数年前になんかの経緯で勧められて観たもののよく解らず、解説等読んで見るもなんとなく…というような捉えどころのないメタ映画でした、とさ。



Ⅰ. 作品概要と主人公の内面への旅路と…

(あらすじ抜粋)
夫ジェームズの死を目撃したために負った心の傷を癒すために、ハーパーはイギリスの田舎街を訪れるが、そこに現れる男たちは全員、同じ顔をしており、さらに目の前に現れた男が突然姿を消し、木から大量の林檎が落下し、恐ろしい叫びと共に何かが襲い来るなど、不穏な出来事が連鎖していく

 冒頭はいきなり、既に破局寸前の主人公ハーパー(演:ジェシー・バックリー)とその元夫ジェームズ(演:パーパ=エッシードゥ)の修羅場から始まります。
 妻を自分の思い通りに動かそうとする(それも相手の罪悪感に訴えかけるような形で)ジェームズに対して恐怖を感じ友人ライリー(演:ゲイル=ランキン)にメールで相談するも、それを察知したジェームズが怒りのあまり思わず彼女を殴ってしまう。そのショックと怒りでハーパーは彼を追い出し、思い余ったジェームズは上階から飛び降りてしまう・・・。
 第三者の介入を許さずあくまで相手の客観性の芽を摘んで自分の論理に惹き込もうとする夫も大概ですが、売られた喧嘩とばかりに謝罪も何も一切シャットアウトして接触を断つ主人公もなかなかのものです。

当初はきちんと相手の言葉を聞こうとして歩み寄ろうとしていたのかもしれませんが、
もはや相手に屈服するか相手を屈服させるかの勝ち負けに。
そうなるとオールオアナッシングの闘いになるので、責められる余地をボヤかすために
相手の重箱の隅まで突いて遺恨しか残らないわけで。
かくいう、僕も過去に会社でそうなってしまった上司がいました…。(´・ω・`)

 ただでさえ不穏で厭なシーンではあるのですが、今後の展開を象徴しているようでもあり、登場人物たちの非常に一方通行的なやり取りが繰り返され、それがまた更なる悲劇と恐怖を生んでいってしまっています
 ちなみに夫は上述の離婚に向けた口論の最中にも自殺を仄めかしており、曰く「君が生涯そのことに対して自分の罪を感じるように」とのこと。他責思考もここに極まれり、といったところでしょうか。

バッチリとお互いに目が合う瞬間のあるスローモーションの異様な飛び降りの瞬間。
おそらくはなんとしても妻を自身の意に添わせたい夫の執念と、その悪質性を理解しながらも
その軛から逃れられない主人公の両方の深層心理から生じた虚々実々の光景でしょうか。

 そしてその衝撃の光景と事件を忘れ、己の日常を取り戻すために思い切っての英国の田舎街のカントリーハウスへの慰安旅行。当然その前に元夫の葬儀等は執り行ったのでしょうがその関係の描写は一切無く、"悼む"でも"悔いる"でもなく"忘れる"というところに、己の人生の歩みに如何程の影響も与えさせてなるものか、というそこはかとない執念は感じさせます。

車で数時間走った末に到着した瀟洒なカントリーハウスの庭には
リンゴの果実が実っており・・・

 何気なくその一房をもぎ取ったハーパーは、躊躇無くそれを口にします
非常にベタながらこれが彼女にとっての禁断の果実だとするならば、ここで善悪の知識(本物語に置き換えるのであれば己の善性のみを頼みにせず己の欠点の背景にある罪業を認めること)を得たこととなり、それ以後のこの僻地での彼女の体験は全て、自身の罪業を認めそれを克服するための試練なのではないでしょうか。

 直後にカントリーハウスの管理人であるジェフリー(演: ロリー・キニア)に迎えられ、車からの荷物を運んでもらいつつ邸内の設備の説明を受けます。
 彼からユーモア的に「それは禁断の果実だ」と無断で食べたことを窘められ愛想笑いは返しますが、直後のライリーとの電話では"いかにも田舎町にいそうな変わった人"と軽い軽蔑と不快感を示してもいます。

相手を和ませるためのジョークは人によっては不要で鬱陶しいと感じる向きもありますが、
その己の不快感が向こうに伝わることも重々認識しておかないと・・・

 とどのつまりこのジェフリーの顔とその後に出くわす村の住人たちのそれが同じ(若いか幼いか老けているかの違いは有るにせよ)に見えるわけですが、これはとどのつまり、ハーパーが自分の興味の無い相手を見分ける気が無い、言い換えればステレオタイプな見方で捉えてそれを特に気に留めていないことの暗示かもしれません。

ちなみに中盤でバーに立ち寄った際には偶然居合わせたよしみで
彼女に一杯おごろうとするジェフリーの好意を頑なに誇示しようとします。

 そして非常に印象的なのが、初日に彼女が散歩で訪れる林のトンネル
 だだっ広いうえに真っ暗で長い空間で、しばし彼女は自身の声の反響を子どものように無邪気に楽しみます。

まさに現実世界と幻想世界との狭間のようで。
作品のメッセージとしては難解ですが、反面で表象としては
平易なビジュアルを用いる監督なのかもしれません。

 そしてトンネルの彼方からやってくるのはなんと全裸で無言の大男。
 急ぎカントリーハウスに戻って閉じこもるもその周囲をうろついており、彼女が通報したことで警官が連行していきます。
 経緯だけを見れば"変質者"というだけであり、実際彼女もそういう認識なのですが、目の前の己の範疇外の事象に対して思いを至らせず全てをシャットアウトしようとする様はなんとも象徴的ではあります。
 実際、無害だということで当夜には解放されたことをバーであった保安官(彼もまたジェフリーと同じ顔)に知らされ、"私に何かしてくるかもしれないのに!!"とヒステリックに怒りをあらわにその場を後にしています。

 お次は村の少年。"自分と遊んでくれ"とせがむ彼に対してそれまでの異様な経緯からして"気分じゃないの"と断る主人公。彼はヘソを曲げて彼女に悪態を吐いて去っていく…。
 これも実に厭なシーンながら、よくよく考えると幼児が自分の思い通りにならないと癇癪を起こすのは至極よくあることでもあり、翻って子どもの我儘(引いては子どものような大人の我儘)にも上手く対応出来ない心の余裕の無さを指摘されているようでもあります。

そういえば、不気味だな~ぐらいにしか思わなかったですが
この仮面のモチーフって誰ぞ?マリリン=モンロー?

 さらにさらに主人公に相対するのが村の教会の神父(彼もまた同じ顔…)ですが、彼は元夫との経緯を吐露するハーパーに対して実に率直に提題を突きつけます。「彼に謝罪する機会を与えたのか?」と。
 図星を衝かれたハーパーは怒ってその場を去りますが、ここでも核心を突かれるとそれ以上の対話を拒否する彼女の頑強さが図らずも浮き彫りになっています。

終盤には神父が主人公に迫っているかのようなシーンも…。

 そしてその後はというと恐怖絵図が一気に展開!
 真夜中に庭先を見やると何もしゃべらない警官や目を離すと例の全裸の男。
 彼らが中に入ってこないよう鍵を閉めると今度は窓から鴉が入ったり、どこからともなく霊の少年が邸内に忍び込み、さらには例の牧師まで居室に忍び込んできて彼女の身体に手を・・・

訳の分からないトラウマティックな状況に半狂乱にはなりますが、
その対応はなかなかにアグレッシブです。

 命からがら邸内から逃げ出して自分の車でこの悪夢から
逃げ出そうと走り出しますが、道中に居たジェフリーを轢いてしまい、慌てて解放しようとするも逆に彼に車を奪われて追い回される羽目に。

ここいらの場面は不死身の得体の知れない敵に対するパニックホラーとしての
味わいが優先し、いったんは訳の分からなさを忘れますが・・・

 ラストの十分ほどは頭がおかしくなりそうな理解を拒絶するような地獄絵図
 カントリーハウスに激突したジェフリー運転する車は塀にぶつかり大破し、そこから草の冠を被った全裸の男が現れます、しかも妊娠した状態で。 
 そのお腹の中から教会にいた少年が生まれ、少年→牧師→ジェフリーという具合に次々にその体内を引き裂いて生まれ、最後にジェフリーの体内を破ってジェームズが姿を現します。
 そうして現れた全裸のジェームズと言葉を交わしたハーパーは、ジェームズから「欲しかったのは愛」と聞かされ「そうね」と答える。
 翌朝、昨夜の内に彼女の窮状を心配して自宅を発ったライリーがカントリーハウスを訪れ、それにハーパーが笑顔で応じて終幕。
 ライリーの車の隣には、昨夜ジェフリーが塀に突っ込んだことで大破したハーパーの車も。

 非常になんのこっちゃな怒涛の展開ですが、それまでの自身の罪業を突きつけられて命からがら逃げ続けた主人公に対し、今度は一気呵成に連続して再度のおぞましいまでの追求が行われ、それに対してハーパーが遂には向き合えたということなのかもしれません。目の前の事象にとげとげしい態度で抗していた際にはその光景も実におぞましいものでしたが、ありのままを受け容れようとしたその光景は至極呆気無いものです。
 ラストのライリーに向けたハーパーの笑顔にしても、罪と向き合った彼女ゆえのものかもしれません。そもそもそれまでの彼女は親友に対してすらも心からの笑顔を向けておらず、相手からの心配や配慮にもどこか応じる余裕が無かったのやも。
 
 村に来てからの総ての出来事が彼女が己の罪の意識と向き合うための試練だったとして、阿鼻叫喚の体験が幻想だったとも思えますが、大破した車を見る限り全てがそうとも言い切れません。
 ともあれ、その彼女のトラウマ克服の過程で現実世界の村の住人が何かしらの形で犠牲となっていないことを祈るばかりで・・・・・・。



Ⅱ. おしまいに

 というわけで今回は最新の洋画ホラー『MEN 同じ顔の男たち』について語りました。
 監督のアレックス・ガーランドは映画作品の他にもTVゲームのディーエムシー デビルメイクライ(2013)も手掛けられており、宗教観については相応の拘りのあることが覗えますが、それにしてもなかなかに観客に解釈を投げっ放しジャーマンな結末でした。
 他に、自分はこうした解釈をしたよ、というようなご意見があればコメントいただければ恐悦至極にございます。
 今回はこのへんにて。
 それでは・・・・・・・どうぞよしなに。





繰り返しですが、映像が非常にきめ細かくて息を呑みます。
聞くところによるとレンタルで一日100万円ぐらいのカメラだとか。(゜Д゜)


 


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O次郎(平日はサラリーマン、週末はアマチュア劇団員)
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