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堂々と生きる

これから様々な社会問題を交えてお話をしていきます。(自分についての記事多いなと思う今日このごろ)

まず、私は男性女性関係なく、互いに好きになったとしたら堂々と恋仲になることができます。

なのに日本国は残念なことに「マイノリティーだから隠す」「マイノリティーだから訴える」という謎の風潮があります。

確かに、事実婚というものは日本だと「できないこと」が多い。が、少し調べてみたらパートナーの同意さえ手に入れてしまえば外国で事実婚ができるとのこと。
https://www.mwed.jp/articles/11499/

プライド・パレードを行った過去の同胞達の努力の成果に、我々が少し甘えても許されるのかもしれないと考えています。「未来を変えよう!」と動いてくれた故に。

過去の人たち、尊敬。>🦥

更に現代ではLGBTではなく、LGBTQ+などの認識も高まってきているからこその赦しなのではないのでしょうか。

私個人としては「マイノリティーはここにいる」「区別化する多様性」という考えを押し付けるのではなく
「マイノリティーもマジョリティも一人の人間でありそれぞれ違う考え方価値観を持っているよね。同じ人生を歩んだ人はいないから互いに認めあってもいいよね。」という考えです。

「マイノリティーに配慮する」事を意識したらそれこそ「マジョリティがマイノリティーになる」案件が出てきそうな気もします。もしもその状態が起こると更に亀裂が生じる危険性も否めません。

勿論「声を上げる」ことに関しては否定しませんし、素晴らしい行動力だと尊敬しています。先程の「プライド・パレード」を行い声を上げた人達がいなければ「LGBTQ+を一般化しよう」などの次の段階の意見などここに書いていませんから…💦

焦ってる…>🦥

そりゃあ、焦りますってば。敵意の無い人達に勘違いされたら元も子もない。それはしっかり補足を入れた方が後が楽になる。

そして私は別の意味でも自分を貫きたいと思っています。丑の刻辺りに書いた記事と類似してますが、自分は虐待児であると堂々と言いますし、堂々と「私は暴力を否定する人間である」という生き方をしています。

LGBTQ+も虐待も。
認識を広げてそれを一般化させ、LGBTQ+ならば「人それぞれ違う」が当たり前になる事を。

虐待ならば被害者の話を多くの人が聞き受けられて「それはダメだね」と言えて、暴力は躾だという親からの凝り固まった認識から子どもらを解放させてあげる事を。

こうしてnoteで書いて訴える事に加え、我々が怯えることなく自分を大切にして堂々と
生き、日常生活で、どこのコミュニティーでも受理される事ができれば人々の認識も変わるのではないだろうか。

但し、虐待に関してはコミュニティに属した時に「私はもうその問題が終わっていて、思い出すだけで辛くなる」と言うのならばそれは「ごめんね…」と一言言ってその話をその人がいるところではしないという配慮は必要ですが。

だからこそ「私らしさを貫いて」は大切だと個人的に考えています。

勿論、考え方価値観の違いはあると思いますから異論は認めますが。

ブレてるね>🦥

ですがね、ナマケモノさん。
「私はこうです。貴方はどうですか?よかったら真似てみませんか?後はお好きなように…」までは言いますが、流石に相手に強要して「お前も絶対やれよ」とは言いませんよ。

「過激にならないように気をつけますが、もしも熱が入りすぎて他の記事でもそのような言い方になってしまったらすみません。」と先に謝っておきますが。

まぁそんな私も、以前書いた記事では「目を逸らすな、どうか一緒に考えてほしい。」という思いで色々と書きましたがね。

ポケー>🦥

ナマケモノさんも疲れているようですし終わりますか。皆様、この長文を読んでくださりありがとうございました。

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