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燃えた炎がより鮮やかに現実を照射したりする

今年もやってきました、あいちトリエンナーレ。春先から楽しみにしていてフリーパスを購入したというのに、なんと今回は開始早々に炎上して一部の企画展が中止に追い込まれ、さらに中止に抗議して一部の作家が展示をやめたり内容を変更したりと波乱の展開になってしまった。早く観に行かないと見られる作品がどんどん減ってゆくと焦りつつも8月中はなかなか動きがとれず、月が変わってようやく動き出せた。今回も世界が開かれてゆくような体験ができるだろうか。

あいトリは(毎度のことだが)会場が分かれており、展示作品数も多いので、会場ごとに観覧レポートを書いてゆく。

最初に向かったのが名古屋市美術館。トリエンナーレはインスタレーション作品が多く、どうしても1作品あたりの占有スペースが大きくなる。そのため展示作品数は決して多くなく、代わりにインパクトで勝負ということになるが、この会場では正直なところ大味な印象は拭えなかったし、噂通り(?)「これはアートとして扱われるべきものなのか? むしろ〈表現活動〉なのでは?」と頭を悩ませる作品もあった。もちろん丁寧に見てゆくと目を開かれる作品もちゃんとあるので、以下紹介する。

一番印象に残ったのは、今回の炎上騒ぎの影響で展示内容の変更を行ったモニカ・メイヤーの作品《The Clothesline》(物干し)。本来はさまざまな女性が受けたハラスメントを紙に書き、それを物干しに洗濯バサミで止めてゆく展示だったのを取りやめにして、物干しからすべての紙が取り外され、ただ床一面に未記入の紙が散らばっている格好になった。
作家はもちろん抗議の意図を示すためにこういう形にしたのだが、実際にその場に立ってみると、それはもう痛いほど現代日本の状況を映し出していて(ハラスメントの声すら上げられない)、これはこれで見事なインスタレーションだ。

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逆に中止になって残念なのがドラ・ガルシア《ROMEO》。これは参加型インスタレーションで、仕掛け人が鑑賞者に礼儀正しく声をかけ、お近づきになるというそれだけのことなのだが、その時に生まれる人それぞれの反応が作品という、ジョン・ケージ的作品。人付き合いは苦手だが、それでも声をかけられてみたい気持ちが、少しだけあった。

青木美紅《1996》は一見キッチュなのだが(下記写真)、人の手を加えることで誕生できた生命とアニメーション(動く絵)を結びつける視点が興味深かったし、さらに生命に人の手を加えることの是非を倫理的な観点から照射している点も良い。

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言葉と意味をあえて切り離す実験をしたカタリーナ・ズディエーラー《Shoum》も面白かったし、Sholimはシュールな映像作品をスマホに映し出す形で展示しており、スマホ利用とネット世界が飽和しつつある2019という時代だからこその展示方法だなと思った。

展示作品をほぼ見終わって、地下1階に降りると「アート・プレイグラウンド」というイベントを行っているスペースがある。今回のトリエンナーレで特徴的なのが、この参加型イベント「アート・プレイグラウンド」シリーズで、名古屋市美術館では[つくる・CREATE]がテーマになっており、来場者が用意された材料を使って自由にものづくりができる。メインターゲットは小中学生+保護者で、材料はダンボールや木材、布など。加工用の工具もある。イメージとしては夏休みの宿題工作を思い浮かべるとちょうどよい。もし自分が子どもだったらどっぷりハマっていること間違いない。

この「アート・プレイグラウンド」、愛知県美術館ではめちゃくちゃパワーアップしてすごい空間が繰り広げられていたが、それは次の記事で。

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