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どれも同じような絵に見えるかもしれない。でもね…

最近美術展づいているが、今度は現代美術を離れ、印象派の父ともいえるシャルル=フランソワ・ドービニーの展覧会を見てきた。場所は津市にある三重県立美術館。​

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初めて訪れる三重県立美術館は、古くて大きな建物で、全体の雰囲気は昨年出かけた静岡県立美術館と似ている。ふだん通い慣れている愛知県美術館やスタイリッシュな豊田市美術館、コンパクトで独特なデザインの名古屋市美術館などと比べると、どうしても古めかしい威圧感を感じてしまうが、半分は作られた時代に影響されているのだろう。中は広々というよりも閑散とした印象を受け、大きな空間を持て余している感じがした。

しかし、ドービニー展そのものはうまく構成されていて、画家の人となり、交友関係、美術の流れにどう関与したか、などがわかりやすく展示されていた。特にロビーのディスプレイで流れていた、アニメーション形式の紹介映像は親しみやすくて良い。

あらかじめ風景画家だとわかってはいても、展示されている作品は似たようなカラー、似たような構図の絵が多く、何も知らずに見ていると「どれもおんなじ」に見えてしまう。だけども画家の人生を丁寧に紐解いてゆき、どんな家族を持ったのか、また交友関係、つまり誰に影響を受けて誰に影響を与えたか、とか、絵を描き続けてゆくために何をしたのか、などを知ると俄然面白くなる。

1817年にパリで生まれたドービニーは、若かりし頃、「正統派」の画家を目指してローマ賞に応募したことがある。ローマ賞といえばフランスにおける若手芸術家の登竜門であり、音楽部門でラヴェルが5回応募してすべて落選し、それでひと悶着おきているいわくつきの賞であるが、ドービニーは絵画部門に2度落選してあきらめてしまい、当時は新しい流れであった風景画に傾倒してゆくことになる。これは絵画の大きな流れから見ればラッキーという他はなく、彼のおかげで印象派の画家たちが活躍する場を得ることができた。

その後ドービニーは旅をしながら風景画の研鑽と各地の画家と交流を続け、ついにはボートを手に入れ、船旅をしながら(しかも息子を助手にして!)川辺の風景を描き続けた。そうして生まれた絵はサロンでも評価され、「絵を見るなり服を脱ぎ川に飛び込もうとした」観客がいるとさえ評された。

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これももちろんドービニーの作品だが、
巨大なタペストリーに加工され会場に飾られていたもの。

普通、画家や芸術家には貧困がつきものというイメージがあるが、ドービニーは運のいいことに流行に乗ることができた。当時社会に躍進してきたブルジョワたちが、ドービニーが得意とする風景画を競うように求めたのだ。産業革命の影響で人々が郊外へ「自然」を求めて遠出するようになった時代でもあり、部屋の中で手軽に「自然」を楽しめる風景画は、アカデミックな絵画にこだわらないブルジョワ層と相性が良かったのだと思われる。

おかげで金銭面では恵まれていたドービニーだが、一方で晩年には「自分が本当にいいと思った作品ほど人気がない」とぼやいており、生活のためには売れるタイプの絵を描かなくてはならず、結果的に現在残されている作品も似たような風景画ばかり、という事態になった可能性はある。

交友関係も広く、よき友人にも恵まれたたドービニーは積極的に若手画家を支援し、印象派の誕生に貢献した。その彼が新しい絵画の流れに無頓着であるはずがない。

実は晩年の作品で、これは面白い、新しい境地に踏み出している、と感じる作品がいくつかあって、そういう作品がもっと残っていてもいいはずだと思っていたのだ。でも残念ながらそれらは人気が出ないということで、多くは制作されなかったようだ。惜しい。

もしも、ドービニー氏に「これから2年間、自由に制作してOK」と場所と時間と資金の提供をしたら、どんな作品が生まれただろう。やっぱり風景画? の最先端だったりして。

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これは絵のように見えるけれど、実は美術館の中庭。
ドービニーとは無関係にも関わらず、不思議とドービニーぽい景色だった。

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