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トリは豊田で

あいちトリエンナーレ会場で最後に紹介するのが豊田。実は、いちばん最初に見に行って感激したものの、時間の都合で豊田市美術館だけ見て帰り、まちなか会場は最後になった。「残り物には福がある」というが、まさに言葉通りで、この会場がいちばんクオリティが高かったと思う。

まちなか会場は、正直わかりにくい会場構成ではあったのだが、ボランティアさんたちがここぞというタイミングで声をかけてくれ、説明は丁寧で気配りが行き届いていた。

作品については何が良かったかって、このエリアで展示されている作品同士に何かしらの関連性が見られること。ただ建物や町の雰囲気を借用するだけでなく、豊田という町の特性や歴史に踏み込んだ作品があり、たとえば真面目な方のアプローチがアンナ・ヴィット《未来を開封する》。豊田で自動車産業にかかわる人たちを集め、そこで作業の自動化やAIの導入をふまえた労働の未来について議論しあう。また、日々の仕事の動き(主に生産工場での作業と思われる)を抜き出してパフォーマンスに仕立てたり、アコースティックの楽器に挑戦したりする様子を映像にして映し出す。「ものをつくる」とは何ぞや?という問いかけにあふれた良作だった。

もうひとつ、少々コミカルな方のアプローチがトモトシ《Dig Your Dreams.》。1960年代に一世を風靡したハイレッド・センターに影響を受けたというトモトシ氏がこの作品で何をしたかというと、豊田の町を掘ったら下から過去の遺物が出てきて、それらがトヨタのロゴマークの入った陶器だとか、大昔のエンブレムで、その様子をドキュメンタリーとしてテレビ番組風に仕立ててしまった。
地名=企業名である豊田の町では犬も歩けばクルマに当たるという諺があるかと思えるくらい車産業と人々の生活が密着している。そのことを非常にユーモラスに表現している。

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「発掘現場」の中にモニターが設置され、発掘時の様子をTV番組風に解説している。出演者はみな真面目に「遺物」を掘り、トモトシ氏はいかにも現場レポーターらしく現地の様子を報道する。これは笑うなという方が無理。

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トヨタマークのついた「出土品」はもちろんフェイクだが、明らかに釉薬が使われている茶碗に対して「縄文時代」とキャプションがつけられているユルさがたまらない。

小田原のどか氏は、長崎の爆心地に置かれた矢羽形の標柱と平和公園内の彫像、そこから導き出される「日本における彫刻」に関する考察が大変読み応えがあった。下の写真は矢羽型の標柱をモチーフにした作品。

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和田唯奈(しんかぞく)の作品は、バーチャル赤ちゃんをお世話することで、参加者が作品の姿を少しずつ変えてゆくというインタラクティブな作品。参加者はお世話ミッションの最後にバーチャル赤ちゃんの最初の姿と生みの親(制作者)からのメッセージを受け取る。よく作品は制作者にとっては子どものようなものだ喩えられるが、文字通り作品を赤ちゃんに仕立て、しかも参加者=観賞者の手によって少しずつ作品の意味が変化していくところまで再現してあるのはすごい。赤ちゃんは全部で7人。人の格好をしているとは限らない彼・彼女らの姿と生まれた理由を見てゆくと、創作する魂の根源を見せつけられる気がする。

場所を変えて、現在は廃校となっている旧豊田東高校へ行くと、こんな巨大な作品が。

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高嶺格《反歌:見上げたる 空を悲しもその色に 染まり果てにき 我ならぬまで》
プールの床をよっこらしょと立てただけに見えるが、実際は切り取っては積み重ね、を繰り返しているそうだ。ここはかつて高校のプールだったところ。甘じょっぱい日々への墓標に見えるのは自分だけだろうか。

さて、高校のすぐ隣に豊田市美術館はある。そこをのぞくと、クリムト展と二本立てでトリエンナーレ作品が展示されている。ふだんの鑑賞ルートは2階→3階と進むのだが、今回は3階から順に降りてくる逆ルートで新鮮。

美術館の作品は全体的に「見えないものを可視化する」タイプの作品が多くそれだけで刺激的だったのだが、特に印象的だったのがレニエール・レイバ・ノボ《革命は抽象である》。
本来は、ロシア・アバンギャルドをテーマにした、2つの巨大な彫刻作品&壁面に並ぶコンクリート絵画のインスタレーション作品だったのが、例の一部作品の展示中止事件を受けて、展示内容が変更になった。彫刻作品のうち一つは黒いビニールで覆われ、絵画はすべて新聞紙で覆われた。その新聞紙はすべて愛トリ関連の事件を載せたもので、ある意味今回の事件のアーカイブともなっている。(展示再開のニュースまではカバーできないのが残念)
本来の形態でも十分魅力的な展示だったと思われるが、キャンバスを覆う新聞記事を見ているとこれほど2019年夏の日本を反映した展示もなかろうにと思わされる。

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これも《革命は抽象である》の一部で、モスクワに実在するガガーリンの銅像のうち、手の部分だけをリアルサイズのレプリカとして制作したもの。本体はどんだけ大きいのか。公共空間における彫刻は広告塔であるという小田原のどか氏の論を思い出す。

最後に、純粋に動きが楽しい作品を。
スタジオ・ドリフト《Shylight》。植物の就眠運動を観察・解析して設計された作品。

これでトリエンナーレのレポートは一通り終わったはずですが、実はまだ続きがあります。

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