見出し画像

お寺に数百人信者が集まりました。

ベトナム縦断したり南米に1年間居住したりして、今はタイのお寺で修業中のひろみです。


朝目覚めるとお寺に相応しくない人数の人がいた。
どうやら今日はなにかのセレモニーの日だったらしい。

日常でさえもかなり不思議な文化を見せてくれるタイ仏教だが、今日もなかなか面白いものを見ることができた。


お寺に数百人信者が集まりました。

普段このお寺には僕とお坊さんが5、6人、そしてお手伝いさんが数人と、その大きさの割にかなり少なめの人がいるだけだった。

だが、今日は数百人の人が集まっており僕としてはかなり異様な光景のように思えた。

今日はこのお寺を作った、ルアンポーヴィリアンの死を弔う日だったようで、タイの全国から約400人ほど信者が集まっていた。

在家の信者は白い服を着ると決まっており、見るとこ全て真っ白で、別にふざけているわけではないのにアロハシャツを着ている僕がバカみたいだった。
もちろんこの後着替えました。

朝と夜で変わった儀式があったのでそれを書いていこう。


朝の儀式

朝は早くから中庭に大きい机やら特大の窯が用意されていた。

鐘がなり時間になると信者が集まり、各々お皿にご飯を窯からよそっていく。
400人ほどいるのですごい量だ。

その後本堂を囲むようにみんなで半円を描き、お皿を持って待っている。

しばらくすると本堂から僧侶がタンブンに使うボールを持って出てき、信者一人一人から一杯ずつご飯をもらっている。



恐らくタンブンの敷地内で完結するバージョンだろう。
400人全員からご飯を受け取っていく。

この時、この半円のなかだけはとても幸せな気持ちが満ち溢れているような気がした。
ご飯を渡した人はみんな満足そうな笑みを浮かべていて、幸せそうに見えた。

全員分終わると僧侶は本堂に戻り、信者は食堂でご飯を食べる。


夜の儀式

夜はいつもスカスカな本堂がイスで埋め尽くされていた。

前の方には赤いじゅうたんが敷かれ、高級そうな金のイスと机が置かれている。
その横には僧侶が座る豪華ないすがあり、また反対側にはルアンポーヴィリアンの写真やらが置かれていた。

こういった儀式にはバンコクでも参加したことがあるが、流れは次の通りだ。

お経を全員で読む。(40分)

瞑想(15分)

お経を読む(20分)

マスターのお話(30分)

解散&写真撮影

タイ語がわからない人からすると楽しいのは瞑想ぐらいだろうか。

僕もお経を一緒に読みたかったが、タイ語を読めるようになる日を待つしかない。

僕はお坊さんの話はあまり面白いイメージがなかったのだが、タイのお坊さんはさすがというべきだろうかとても好評なようだった。

語り始めから場をうまく支配しており、彼らの話術は相当なものだろう。

以上、今日のセレモニーの一部始終だった。

セレモニーは普段とは違って楽しいのだが、僕はあまり人が多いのは得意ではなく、それが理由で田舎まで来たので
密かに静かな日常に戻るのを待ち望んでいたりする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?