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日本史論述・チャレンジ課題・明治

今回は、明治時代のチャレンジ課題をお送りします。

この「チャレンジ課題」は、私が出講している高校の課外講座で、毎回の授業の終わりに生徒に取り組ませているものです。

学んだ内容の理解度を測るのに、文章を書かせることほど良いものはありません。自分では分かったつもりでも、いざ文章となると書けないもの。それは理解があやふやだからです。

授業では、その日の内容に即した課題を与えていますが、教科書・用語集・図説、なんでも参照して良いこととしています。ただ読むよりも、書くということを目的に読んだ方が、より能動的に文章と向き合うことができて、理解がより深まることを狙っています。

今回用意した10問の中には、かなり難しいものや、答えが一意に定まらないものがありますが、それでも構わないと思っています。自ら調べ、考え、書くことが大切ですので。

皆さんも、80〜100字で答案を作ってみてください。


〈問題〉

1.五品江戸廻送令が出された理由と効果について説明しなさい。

2.版籍奉還の結果について説明しなさい。

3.廃藩置県の断行に対して諸藩から大きな反発がなかったのはなぜか。その理由を考えなさい。

4.日朝修好条規は不平等条約であったにもかかわらず、「朝鮮国ハ自主ノ邦ニシテ平等ノ権ヲ保有セリ」と記されたのはなぜか。その理由を説明しなさい。

5.1870年代後半に財政が悪化した理由を説明しなさい。

6.次の憲法の条文が議会政治上でもった意味について説明しなさい。
「第七十一条 帝国議会ニ於テ予算ヲ議定セス又ハ予算成立ニ至ラサルトキハ政府ハ前年度ノ予算ヲ施行スヘシ」

7.1894年に日英通商航海条約を結んだ日本・イギリス両国の事情を説明しなさい。

8.福沢諭吉が「脱亜論」を発表した国際的背景について説明しなさい。

9.明治中期~後期における製糸業と紡績業の貿易収支の違いを説明しなさい。

10.工場法を制定した目的とその効果について説明しなさい。



〈解答例〉
1.貿易が開始されると、生糸などの輸出品が開港場の横浜に直送されたため、江戸では物不足からインフレが生じた。そこで、幕府は五品目を指定していったん江戸に持ち込むよう命じたが、在郷商人と外国人商人の反対で効果はなかった。

2.版籍奉還によって形式的には全国の支配権は天皇に帰したが、旧大名が知藩事として留まり、租税と軍事の両権を握り続けたため、実質的な藩権力の解体には至らなかった。

3.諸藩は幕末以来、多額の負債を抱えていたが、政府が肩代わりすることされるとともに、旧藩主・旧藩士への家禄の支給は継続されたため。


4.主権国家どうしの近代的な国交の樹立を目指す明治政府は、朝鮮の自主独立を認め、日本と平等の権利を保有すると規定することで、清国の宗主権を否定し、朝鮮における影響力を排除しようとしたから。

5.西南戦争の戦費を補うため不換紙幣を乱発したことで、インフレが生じ、定額の地租を主財源とする政府にとって実質的な収入減となったため。

6.予算不成立時には前年度の予算を施行するとする規定が盛り込まれたことで、議会の承認なしに新たな予算費目を立てられないことになり、政府は民党との妥協を余儀なくされ、議会政治に道が開かれた。

7.イギリスは東アジアにおけるロシアの南下を警戒し、これを抑えるため日本に接近してきた。一方、日本も清国との開戦を間近に控え、列強からの支持を得る必要があった。

8.朝鮮における清との利害対立が表面化し、壬午事変・甲申事変の結果として親日派勢力が後退したことで、日・清・朝の三国が連帯して近代化を果たし、欧米列強に対抗するという議論が実現不可能なものになっていた。

9.原料の繭が北関東養蚕地帯から供給される製糸業が重要な外貨獲得産業に成長したのに対し、紡績業は原料の綿花や機械を輸入に依存していたため、輸出が増加しても貿易収支は赤字のままだった。

10.労働条件の改善により労資対立を緩和し、生産性の向上を図るという観点から、工場法では1日12時間労働や深夜業の禁止などが盛り込まれたが、適用は15人以上の工場に限られたため効果は薄かった。


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