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日本史論述ポイント集・近代②

今回は明治新政府の発足についてです。

後のことですが、佐賀藩出身で新政府の一員であった大隈重信は、1897年に外務大臣として帝国議会で行った演説において、明治初年以来の我が国の一定不動の外交の方針は、「開国進取」であると語っています。

演説から引用してみましょう。

「明治の国是として現るるところの外交には、どういうことが大切であるかと言えば、維新の大詔にもあるが如く、万国と対立せんとするの大方針よりして、あらゆる国家の組織を変更しなければならぬということが起って……」

「すべての国是、いわゆる開国進取、言い換えれば、即ち万国と併立するという主義からして、日本は導かれ、文明に進み、ついに世界に重んぜられ、尊敬さるるということになったのであると存じます。」

「万国と対立せん」「万国と併立する」という文言が出てきました。「万国対峙」とも言います。開国和親の方針を掲げた明治新政府にとって、いかに欧米列強に伍して近代国家の一員として認められるかが、大きな課題となりました。

そこで求められたのは、2つのことです。1つは、近代的な諸制度を導入すること。「進取」がこれにあたります。そして、もう一つが、国内の政治的統一を果たすこと。江戸時代のように、各地に自立した藩権力が存在していては、列強に対峙できません、中央集権的な統治システムを構築する必要があったのです。

ですので、近代的な制度の導入と国内の政治的統一という2つの視点から、明治新政府の諸政策を捉えてください。


近代②・明治新政府の発足

Q1 五箇条の誓文で示したことは?

A1
①天皇が百官を率いて神々に誓約する形をとることで、天皇親政の政体を示した。
②公議世論の尊重など新政府の基本方針を示すとともに、列国に対しては開国和親の方針を示すことで承認を得ようとした。



Q2 五榜の掲示からうかがわれる明治新政府の民衆政策の姿勢は?

A2

○儒教道徳(五倫)の遵守や、徒党・強訴の禁止、キリスト教の禁教など、旧幕府の民衆政策を継承して、抑圧的な態度で臨んだ。



Q3 版籍奉還と廃藩置県のそれぞれの意義は?

A3
①版籍奉還では、旧藩主がそのまま知藩事となり、租税・軍事の両権も各藩に属することとされたので、知藩事による支配が実質的に温存された。
②これを受けて、廃藩置県では、知藩事を罷免して東京に集住させ、中央から府知事・県令を送ったため、分権的な藩権力が解体され、国内の政治的統一が進んだ。



Q4 地租改正は政府・地主・農民のそれぞれにとってどのような意味があったか?

A4
①政府は定額の安定した財源を確保して、殖産興業に投資した。
②地主は地券の交付により土地所有権が保証され、米価の上昇によって潤った。
③農民にとっては従来の年貢と変わらぬ負担であり、生活基盤の入会地も官有地に編入された。ひとたび小作に転落すると、高額な小作料が物納で課されたため、手元に自家消費分しか残らず、階層上昇の機会を失った。



Q5 明治初期にはどのような貨幣・金融政策が行われたか?

A5
①新政府は当初、大商人から御用金を徴発して太政官札・民部省札などの不換紙幣を発行したが、信用に乏しく、流通しなかった。
②1871年には新貨条例が出され、金本位制を建前とする円銭厘の新しい貨幣体系が定められたが、開港場では銀貨が用いられ、実質は金銀複本位制であった。
③1872年の国立銀行条例では、兌換銀行券の発行を義務づける形で国立銀行の設立を認めた。民間の力を借りて金本位制の確立を目指したものであったが、設立は進まず、1876年には金融制度の確立を優先して兌換義務が解除された。

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『東大のディープな日本史』著者

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