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日本史論述ポイント集・近代③

今回は、自由民権運動をへて、立憲国家が完成に向かう過程を見ていきます。

私は、日本史の授業であっても、憲法とは何か?立憲主義とは何か?ということについて、丁寧に説明しています。というのも、それを踏まえて明治憲法の特質を理解しておくと、戦前の政治史の見通しが良くなるからです。

まず、憲法(constitution)とは、国家の組織や統治のあり方などの基本構造を定めた根本原理となる法のことです。だから、憲法を読めばその国の骨格が分かる。そして、その国が進む方向を決めていきます。

次に、立憲主義とは、人権の保障のため憲法によって統治権に制約を加える考え方のことです。

国家は、社会秩序を維持するため、徴税権・警察権などの権力を行使します。しかし、為政者が恣意的に権力をふるえば、人が生まれながらにしてもつ自由などの権利(自然権・基本的人権)は侵害されてしまいます。そこで、憲法によって制約を加えるのです。

国家権力を抑制するには、それを分割して異なる機関に担当させ、抑制と均衡を働かせるのが良いでしょう。権力分立(三権分立)です。

フランス人権宣言の第16条にはこうあります。

「権利の保障が確保されず、権力の分立が規定されないすべての社会は、憲法を持つものではない。」

大日本帝国憲法はこの立憲主義の原理を備えており、アジアで最初の近代的立憲国家となったのです。

ーー大日本帝国憲法には、人権保障と統治権の制約(権力分立)という立憲主義の原理が、確かに備わっていた。しかし、それを適切に運用するのが難しかったがゆえに、せっかく実現した「憲政の常道」は短期間に終わり、軍部の台頭を許し、戦争への道を歩むことになった。

これはかなり単純化した捉え方ですが、憲法の視点からは戦前の歴史をこう捉えることができるでしょう。いずれにしろ、大日本帝国憲法の内容と特徴をしっかりと理解することに努めてください。


近代③・立憲国家の完成

Q1 自由民権運動は参加者の階層によってどのように時代区分できるか?

A1
①第1期=士族民権:征韓論争に敗れ下野した前参議を中心に民撰議員設立建白書が提出されると、各地で士族を中心に政社が結成された。
②第2期=豪農民権:米価の上昇で潤った豪農・地主層が加わり、地租軽減などの具体的な政策要求も議論されて、全国的な組織である国会期成同盟が結成された。
③第3期=農民民権:松方デフレで困窮した農民が激化事件を引き起こし、こうした中で自由党や立憲改進党は活動休止に追い込まれ、運動は分裂した。
④第4期=大同団結運動:国会開設が近づいたことや井上外交への批判から、旧自由党員を中心に再結集が呼びかけられた。三大事件建白運動などが展開されたが、保安条例による弾圧や、後藤象二郎の入閣などで崩壊した。


Q2 明治十四年の政変の意義は?

A2
①イギリス流議会主義の立場から国会の即時開設を訴えていた肥前出身の大隈重信が、開拓使官有物払下げ事件を口実に参議を罷免された。
②この結果、伊藤博文を中心とする薩長藩閥が確立した。
③政府は欽定憲法の基本方針を決定し、10年後の国会開設を約束したことで、立憲君主国家の建設に向けた主導権を政府が握った。


Q3 大日本帝国憲法下の国家体制の特質は?

A3
①元首であり統治権を総覧する天皇が強大な君主権を握り、その下で諸機関が独立して直属する形をとったため、権力の多重化を引き起こした。
②一方で、立憲主義に基づいて天皇の統治権に憲法による制約が加えられたことから、議会政治・政党内閣に道が開かれた。


Q4 改正民法の特色は?

A4
○戸主権が強く封建的な家制度を温存したもので、女性の地位は低かった。


Q5 明治時代に条約改正を実現できた条件は?

A5
①憲法を中心とする諸法典の編纂によって、近代的な法治国家が完成した。こうした中で、大津事件における大審院長児島惟謙の態度は、司法権の独立を守るものとして評価された。(→領事裁判権の撤廃)
②産業革命を達成して貿易が拡大した。(→関税自主権の回復)
③極東におけるロシアの南下策を警戒して、イギリスが日本に接近してきた。

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