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日本史論述ポイント集・近代⑤

今回は、近代産業の発展について、産業革命を中心に見ていきます。

1880年代後半の会社設立ブームから、日清戦争・日露戦争の軍拡期を経て、日本でも資本主義が成立しましたが、その礎を準備したのは、1880年代前半に行われた松方財政であると言えるでしょう。

どういうことか?

まず、資本主義とは、私有財産制度を前提にして、自由な経済活動が保障された経済体制のことです。資本主義の成立には3つの条件が必要とされます。資本・労働力・市場です。

松方財政は、このうち資本と労働力を準備しました。

緊縮政策による米価の下落(松方デフレ)で困窮し、土地を手放した小作層からは、子女が安価な労働力として供給されました。山本茂実の『あゝ野麦峠』の世界です。

一方、地主層は彼らが手放した土地を集積していきました。小作地率は40%を超えます。そして、高率の現物小作料に収入を依存する寄生地主となり、蓄えた富を株式や債権に投資していきました。

このように、松方財政は寄生地主制の発達を促すことで、資本と労働力という資本主義に必要な2つの条件を準備したのです。

しかし、もう一つの条件である市場はどうでしょうか?

高額の小作料をせしめられる小作や、低賃金労働を強いられる労働者に、購買力はありません。こうして、戦前の日本経済は、狭い国内市場という構造的な弱点を抱えることになったのです。


近代⑤・近代産業の発展

Q1 松方財政の経済的意義は?

A1
①緊縮政策を進めて不換紙幣を整理し、銀本位制を確立した。
②物価の下落によって貿易が黒字に転じた。
③デフレの影響で困窮した農民層から安価な労働力が供給され、産業革命を支えた。
④土地を集積し資本を蓄積した地主層は、さかんに株式・債券に投資を行った。(会社設立ブーム)
⑤官営事業の払下げを受けた政商が、鉱山・工場を基盤に財閥へと成長していった。


Q2 戦前の日本経済は構造的にどのような弱点を抱えていたか?

A2
①安価な労働力に支えられての経済発展であったため、国内市場が狭かった。
②そのため、輸出志向型の産業発展を目指したものの、後発国ゆえに国際競争力が不足していた。


Q3 1897年に金本位制を導入した理由は?

A3
①金銀相場の変動で貿易が不安定であったため。
②当時は金高銀安の傾向で、金本位制をとる列国から資本の導入を図るには不利であったため。


Q4 製糸業と紡績業の貿易における位置づけは?

A4
①製糸業は幕末以来の主要輸出産業であり、北関東の養蚕地帯を基盤に、在来の座繰製糸を改良した器械製糸の技術が用いられたことから、外貨獲得産業に成長した。
②紡績業は、イギリスからの綿製品の流入で壊滅し、その後は関西を中心に大工場生産が発達した。しかし、原料の綿花や機械を輸入に依存していたため。貿易収支は赤字だった。


Q5 日本の財閥の特徴は?

A5
①政商から出発し、官営事業の払い下げを受けて産業の基盤を得た。
②日清・日露戦争期の軍拡政策に乗じて鉄鋼業・造船業などに進出し、持株会社を頂点とするコンツェルンの形態を築き上げた。
③同族で株式を独占し、あらゆる産業を支配した。


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