日本史論述ポイント集・近代⑥
今回から大正時代へと入っていきます。まずは外交、第一次世界大戦と協調外交についてです。
第一次世界大戦によって国際社会のあり方は大きく変わりますが、その変化を捉えるうえで重要となるのが、勢力均衡と秘密外交の賞味期限が切れるということです。
勢力均衡については近代④で説明しました。大国・小国の入り交じった力の綱引きで平和を維持する。しかし、三国同盟と三国協商のにらみ合いというパワー・バランスは崩れ、第一次世界大戦は始まりました。
また、従来の外交では、1対1の交渉において秘密条項が含まれているものでしたが(第三次日韓協約における軍隊の解散などがそうです)、そこから他国との歪みが生じ、折り合いがつかなくなります。世界初の社会主義政権を樹立したレーニンが「平和に関する布告」を発したのを受けて、アメリカのウィルソン大統領も「14カ条の平和原則」で秘密外交の禁止を掲げました。
こうして勢力均衡と秘密外交がご破算となり、戦後は国際会議で合意が形成されるようになります。その先駆けとなったのが、パリ講和会議と、軍縮と中国・太平洋問題について話し合ったワシントン会議です。
大戦後の日本は、幣原喜重郎外相を中心に協調外交を展開します。現行の教科書(山川詳説日本史)には「幣原外交は、正義と平和を基調とする『世界の大勢』に歩調を合わせ」という記述がありますが、「世界の大勢」とはそうした国際的な潮流のことです。
今回の内容は、以上のような世界史的な視点をもって、理解に努めてください。
近代⑥・第一次世界大戦と協調外交
Q1 日本が第一次世界大戦への参戦を決定した名目と実際の目的は?
A1
①日英同盟上、日本に参戦の義務はなかったが、その情誼を名目に参戦を決定した。
②列国が中国に介入できないことを見越して、ドイツの根拠地である青島を奪い、中国での権益を拡大することを目論んだ。
Q2 石井・ランシング協定を結んだ日米双方の思惑は?
A2
①第一次世界大戦への参戦を決定していたアメリカとしては、日本に門戸開放の主張を認めさせつつ、利害を調整して太平洋方面の安定を確保する必要があった。
②日本としても、大戦後の国際社会をにらみ、中国での権益を確保するためにも、日本の膨張に不満をもつアメリカとの決定的な対立を避ける必要があった。
Q3 第一次世界大戦後に国際的環境はどのように変化したか?また、その中で日本の置かれた立場はどうなったか?
A3
①アメリカがイギリスに代わって国際政治の主導権を握った。
②戦勝国もアメリカへの戦債の支払いに苦しむなかで、協調して軍縮を進めるとともに、ドイツの産業を復興させて賠償金の支払いを円滑にする必要があった。
③日本は国際連盟の常任理事国に選ばれ、国際社会を先導する存在として認められた。
④一方で、第一次大戦中の露骨な中国進出に、日本に対する警戒感が高まっていた。
⑤また、民族自決の国際世論を背景に朝鮮で三・一独立運動がおこり、中国でも日貨排斥運動が展開された。
Q4 アメリカがワシントン会議を開催した狙いは?
A4
①列国による建艦競争を終わらせて、財政負担を軽減する。
②東アジアにおける日本の膨張を抑制する。
Q5 第一次世界大戦後の日本の外交方針は?
A5
①ワシントン体制の下で、対米英協調と対中不干渉主義の方針を堅持する。(協調外交)
②経済重視の姿勢をとり、列国と平和に対する歩調を合わせることで、中国とりわけ満州における権益を確保する。
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