日本史論述ポイント集・近代⑦
今回は大正〜昭和初期の経済についてです。
1920年代の日本経済は、大戦景気後に出口の見えない不況(慢性的不況)に陥りましたが、その原因は輸出が低迷していたことにありました。
では、なぜ輸出が低迷したのか?
第一に、国際競争力の不足です。大戦景気時に不健全に膨張した成金には、大胆なリストラ(産業合理化)が必要とされましたが、相次ぐ恐慌に日銀の特別融資で当座をしのいだため、経済界の再編が進みませんでした。それゆえ、大戦の終了とともにアジア市場に戻ってくると、太刀打ちができなかったのです。
また、第二に、日本だけが金解禁(金本位制への復帰)ができなかったことが挙げられます。日銀の特別融資を繰り返していたため、紙幣がだぶついていたのです。日本だけが金解禁できなければ、円は信用を失い、為替は乱高下しました。そんな国とは貿易をしてくれません。
そこで、浜口雄幸内閣の井上準之助蔵相は、財政緊縮策をとり、産業合理化を進めて、金解禁を断行しました。輸出を回復させるためです。
結果的に世界恐慌の影響を受けて昭和恐慌に陥りましたが、その後、高橋財政の下で飛躍的に輸出を伸ばしたのは、産業合理化によって膿みを出しきっていたからです。
今回は、こうした経済の仕組みを踏まえて理解を深めてください。
近代⑦・大戦景気から慢性的不況へ
Q1 大戦景気にわいた要因は?
A1
①ヨーロッパ諸国が後退した中国市場に独占的に進出し、綿布の輸出を伸ばした。
②戦争景気のアメリカへの生糸・羽二重の輸出が好調であった。
③世界的な船舶不足から造船業・海運業が活況を呈した。
④こうした中で、ドイツからの輸入途絶のため化学工業が勃興したほか、鉄鋼業・電力業など重化学工業が発達した。
Q2 戦後恐慌に陥った要因は?
A2
①ヨーロッパ諸国がアジア市場に再進出してきたことで、輸出が激減し、入超に転じた。
②大戦景気中に不健全に膨張した日本の成金企業に国際競争力はなく、株価が暴落した。
Q3 度重なる恐慌は日本経済にどのような影響を与えたか?
A3
①中小銀行の整理・統合が進み、五大銀行に預金が集中した。
②独占資本である財閥が金融・流通面から産業支配を強めた。
③紡績会社が中国に工場を建設するなど、資本輸出の動きが強まった。
④相次ぐ恐慌にそのつど日本銀行による非常貸出で経済の破綻を回避してきたため、銀行は不良債権を抱えたままで、産業合理化も進まなかった。
Q4 1920年代に日本が金解禁できなかったのはなぜか?また、そのことが為替や貿易にどのような影響を与えたか?
①相次ぐ恐慌に日本銀行券の増発で対処したため、金保有量に紙幣発行量が見合わず、金兌換を再開できなかった。
②日本だけが金解禁できなかったことから、為替相場は動揺しながら下落し、輸出が低迷した。
Q5 昭和恐慌の要因は?
①産業合理化による賃金引き下げや人員整理が行われるなど、デフレ政策下の国内的な不況が続いていた。
②金解禁の前年に始まった世界恐慌の影響で、輸出が激減し、正貨が大量に海外に流出した。
③米価が植民地米の圧迫により、繭価がアメリカへの生糸輸出の激減で、ともに暴落するなどして、農村が困窮した。
Q6 高橋是清蔵相はどのような経済政策を行ったか?
A6
①金輸出を再禁止し、管理通貨制度の下で大幅な円安を利用して綿織物などの輸出を伸ばした。
②赤字国債で調達した資金を軍事費や農村救済費に注ぎ込むなど、財政の膨張により内需の拡大を図った。
Q7 新興財閥の特徴は?
A7
①自動車・化学などの高度な技術力を基盤に成長した。
②政府の軍拡路線に乗じ、軍部と結びついて満洲・朝鮮に進出した。(日産/日窒)
③金融資本(銀行)を持たなかったため、株式を公開して市場で資金を調達した。
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