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二度と行けないあの店で:西陣亭

 人間には大きく分けて2種類あると聞くが、僕は、いわゆる「町中華」と呼ばれる中華を好む種類の人間であるようだ。満完全席のような高級中華でも、香辛料がふんだんに使われるいかにも本格的な中華でもない。おじいちゃんが1人でフライパンを振っている中華屋だ。まさに日本的な味付けがなされている中華屋に行っては、2~3品の料理と瓶ビールをいただく。これぞ「町中華」を堪能する極意なのである。

 今出川通りから智恵光院通りを南下していると、左手の方に、伝説の中華屋があった痕跡が見えてくる。その名も「西陣亭」。日に焼け薄れてしまった黄色いひさし(キノピーというらしい)にしっかりと赤い文字で店名が記された西陣亭。多くを語らないそのたたずまいこそ、誰もが憧れる中華の名店の姿そのものだ。

 しかし、僕が西陣亭の存在を知ったのは、亭主が老齢のため閉店となった後だった。僕は西陣亭の歴史の痕跡を見ることしかできない。店内に満ちたニンニクの香り、フラパンの上で食材が踊る音、グラスになみなみと注がれた黄金の酒に浮かぶ白い泡、炒められた米たちのツヤ、常連客たちが交わすどうでもいい会話。これらの小さな幸せを、僕は想像することしかできない。

 人間には必ず終わりがあるように、永遠に続くお店はない。明日、大好きなお店に行ってみると、そのお店は無くなっているかもしれない。だからこそ僕は、幸せを受け取ることができる間に、大好きなあのお店へ二度と行けなくなる前に、お店を、人を、京都をたくさん愛してゆかなければならない。
osanote 2022.5.2 掲載)


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