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国際支援と教育について【2023年6月28日】

2日ぶりの更新になりました🙇‍♂️

さて、今日はこんな話から始めようかなと思う。

Twitterで見た話。

大学生が発展途上国のある村に井戸を作ったらしい。それによって、今まで片道2時間かかっていた水汲みが30分に短縮。ハッピーエンドやん!と思いきや、村人の中に鬱の症状を持つ人が多数発生。毎日の水汲みの最中に行う会話が減り、繋がりが希薄化したからだそう。国際協力って難しい!

Twitterより

これと似たような話を、今年の3月に初めての海外(ネパール🇳🇵)に行った時にもあって。

ネパールに着いて、1番最初にびっくりしたのは交通状態だった。日本みたいに秩序が保たれてない。車線らしきものはあるが、皆が進みたいように進み、バイクは隙間を見つけてどんどん通っていくし、クラクションを鳴らしながら割り込んでいく。大通りなのに、人が手動で交通整備してるし、人が手で「ストップ」を出しながら普通に横断してくるし、道路はまだ舗装されてなくて、でこぼこしていた。

とにかく、俺たちが普段当たり前としている日本の交通状態とは明らかに違った。日本が当たり前だと思っていた俺は、空港から宿までのタクシーがものすごく怖かった。(笑)
そんな運転するのか!って。

でも、そんなネパールの交通状態でも、少なくともネパールに滞在してる期間は大きな事故に遭遇することなく、見ることもなく、過ごすことができた。(バイクが横転するとかはあったけど)

ある夜、国際協力とか国際支援に興味がある仲間と振り返りをしている時の話がすごく印象的だった。

「日本から見たら、ネパールの交通状態は危ないかのように見える。でも、現地ではこの交通状態、交通ルールで成立していて、特に不便そうなこともない。第三者(日本人)とかがやってきて、国際支援だーって感じで、ちゃんとした信号を作って、道路を舗装して、交通ルールを作って。果たしてそれは、現地の人にとって、現地の人がほんとうに望む支援になってるのかなっていうと、そうでもない気がする。
って考えると、意外と支援することってないのかな?」

こんな話をした。
第三者が良かれと思ってやった行いが、当事者にとっては元々の生活を壊す原因になる恐れがある。

よく、発展途上国に学校を作りました!って聞くけど、作っただけで満足してるケースも多いと聞く。それが果たして持続的に活用されているのか。現地の人が使えるものになってるのか。

確かに、ネパールに比べれば日本は経済的にも国の環境的にも優れてはいるかもしれない。だからと言って、ネパールにはネパールの生活や文化がある。優れていないものを、優れているものの基準に引き上げる、合わせていくことがほんとうの支援なのか。

でもこれはすごくすごく難しい問題。だからこそ人生をかけて向き合う人が多いんだろうし、必要なんだと思う。

こんなことを色々考え、俺の中では「教育も同じなんじゃない?」と思ったんだよね。

教師や親など、子供を育む人はそれなりの経験をしてきて、ある程度は「こうした方がいいな」とか「こうしたらよくない」などの基準がわかってきてる。

果たして、俺らが持ってる基準で教育に臨んでいいのか。それは本当に子供本人のためになっているのか。

構造的には、日本とネパール、教育者と子供って同じような気がした。

では、これから教育の道に進もうとしている俺らはどうすればいいのか。まだまだ答えは出てないし、考えがまとまってはないけれど、

大人がもっとわがままに、もっと自分の人生を楽しそうに、幸せそうに生きている。その姿を見せることが1番大事なんじゃないかなと思うんだ。変に、自分の基準で教えようとしない。自分の理想に、型にはめようとしない。

ただ、この辺に関しては俺の中で葛藤があったりもする。これは、先日参加した廃校教育キャンプでも話になった。

これはまた別の機会で振り返りたいと思う。

国際協力/支援も、教育も、誰かを思ってすること。でもそれが逆効果を成すこともある。

だからこそ難しい。一生かけてもわからないもの。

けど、それがおもしろい。俺はそう思うんだ。答えがわかってたら、夢中になれない。
わからないからこそ、思考が働くし、誰かと語り合うし、動こうとする。

だから、”教育”はやめられない。

人が生きるには教育は必要だから。
人を創る根本は教育だから。

そう思うから。

今日も読んでいただきありがとうございます!

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