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授業そっちのけで考えていたこと。【2024年5月16日】

はい。今日も皆さんこんばんは!

note毎日更新2日目でございます。

ちなみに今日のヘッダー画像もChatGPTに作ってもらいました!!

こんな感じで、依頼しました(笑)

1回目の依頼はしっくりこなかった、、

どんな指示(プロンプト)を出すかによって、返答が大きく変わるので、自分のイメージしてるものを、より解像度高く、伝わりやすく伝えるのが大事ですね。

抽象的すぎると、やはり伝わらないですね、

どんどん活用して、学んでいきたいです!!

まさに、今日の内容はこんな感じ!!

はい!本題に入りましょう!

今日は、大学の授業中に、授業そっちのけで考えていたことを少しお話したいなと思います。

大学4年生になり、現在履修してる授業は1つしかありません。それも、めちゃくちゃ少人数で、狭い部屋で行ってるため、ほんと向かい合った目の前に先生が座ってて話すという授業スタイルなんです。

特別支援教育の授業内容で、内容はめちゃくちゃ面白くて、先生もいい人で、何か他のことを考えたり内職したくなるような環境でも無いし、授業内容でも無いんです。

それでも。それでも、授業そっちのけで考えてしまったことがあるんです。

もう、頭の中での妄想が止まらなくて、アイディアが降りに降ってきたんです。あの時は。

忘れないように、先生にバレないように、なんとかして、スマホのメモ帳に残しておきました。

「お前は、一体なにを考えてたんだよ!早く教えろよ!」

って思った、あなた。

わかりました。すぐに教えます!!!!!

ズバリ、、、


「先生になったら、教室でやりたいこと」


です!!!!

なんだよ!そんなことかよ!って思った方。すみません。

ただね、もう、自分が担任を持って、子供たちと一緒に、あんなことやりたいな、こんなこともやりたいなってアイディアが次から次へと出てきちゃって。1人で興奮しちゃってて。

話してる先生の顔を見ながら、話聞いてますよ!的な顔をしながら、頭の中はもう妄想でいっぱいなわけ。だから、先生の言葉が、言葉として入ってこないわけ。挙げ句の果てには、質問されても、一発で理解できなくて、聞き直したりするわけ。

もう、ほんとにごめんなさい。って感じです。(笑)

あ、僕のことあまり知らない人は、なんでそんなこと考えてるの?って疑問持ちましたよね。

ちょっと、ここで簡単に現状の説明だけすると、大学卒業後は小学校の先生になろうと思っていて、今年7月に教員採用試験を控えています。ただ、大学院に進学予定なので、実際に教壇に立つのは2年半後になりますね。はい。まずはこのくらいでいいですか。(笑)

もっと詳しく知りたい方は、これまでの僕のnoteを漁るか、これからも僕のnoteを読んでくれるか、ぜひ1on1等でお話ししましょう。(笑)

でね!!

どんなこと考えたかっていうとですね、ざっとこんなこと考えてました!!

実際に教壇に立つまでに、もっとネタを増やしたい!

わかる人にはわかるものもあるし、わからん人は全くわからんすよね。

僕がこれまでいろんなイベントに参加してきて、いろんなワークショップを受けてきて、いろんなボードゲームで遊んできて、いろんな考え方に触れてきて、その経験則から導き出された、暫定的なアイディアがこれらです。

といっても、パッと見るとLESWORLDにめちゃくちゃ影響受けてるなぁー(笑)

もちろん、小学生の受け持つ学年によって、発達段階によってできるものやできないものはあるだろうし、指導要領やいろんな決まり上、できるものやできないものもあるだろうなとは思います。

ただ、これらを子供たちと一緒にやる未来に、僕自身すごくワクワクするものばかりです!

ここでは、全部は紹介できないので、いつかの機会で、聞いてください。丁寧に教えたいと思います。(笑)

その中でも、いくつかだけここで紹介させてください。

まず、「シークレットバディ」

これはね、NPO法人LESWORLDっていう団体のイベントでは定番のワークショップなんですが、名前の通りシークレットなバディです。

バディとは相棒です。

箱の中に、1人1人の名前が書かれたクジを用意します。そして、その箱から1人1つクジを引いていきます。そして、引いたクジに書いている名前が自分のシークレットバディです。

例えば、僕が「山田太郎」という名前が書かれたクジを引いたら、僕のシークレットバディは「山田太郎」です(笑)

そして、これは「シークレットバディ」なので、山田太郎に、僕がシークレットバディだということはバレてはいけません。隠し通さなきゃいけません。

つまり、その教室の一人一人には、見えない「シークレットバディ」という存在がいることになります。

そして、じゃあ、そのシークレットバディは何をするのかというと、簡単にいうと「隠れた応援者」です。

「あなたこういうところ頑張っててすごいと思ったよ」

「今日、○○のお手伝いしてくれて助かったよ」

「今日の授業で、わからないところ教えてくれてありがとう」

「今日の体育の授業で、あのプレーかっこよかったよ」

みたいな感じで、シークレットバディは日常の中での頑張りや活躍を陰ながら応援したり、褒めてあげたり、認めてあげたりします。

そして、それを言葉で、手紙にして相手に届けます。

さっきの例で言うと、僕のシークレットバディは山田太郎ということなので、僕は日常の中で山田太郎の頑張ったところをしっかり見ててあげたり、何かの頑張りを応援したりします。それを手紙にして、山田太郎に伝えます。

もちろん、シークレットで、バレてはいけないので、「そらより」と言う差出人の名前は記載してはいけません。バレちゃうのでね。

ただし、「山田太郎へ」と言う宛先は必須です。宛先がわからないとちゃんと相手に届かないのでね。

で、教室のどこかに手紙の提出ボックスがあって、みんなはそこにどんどん提出していきます。

それを例えば、「放課後までに出しておいてね」って言って子供たちに出してもらって、次の日の朝とかに先生が開示する。というか手紙を渡していく。

「山田太郎さーん!手紙来てますよ〜」

そうすると、毎朝、見えない誰かから応援メッセージだったり、褒め褒めメッセージだったりが自分の元に届くわけです。

そういう手紙をもらうと、「ああ、誰かが見てくれてる!」って嬉しくなりませんか?

そして、もらって嬉しいものは循環するはずなので、相手のいいところをより探そうとすると思います。

こうして、シークレットバディの存在や働きが、よりポジティブなエネルギーへと変換され循環していく。

そんな関係性を築いていったり、温かな空間が教室の中でデザインできたらいいな〜なんて思います。

それを1週間とか継続します。

それで、翌週とかにシークレットバディの種明かしとかすると盛り上がると思います。

「僕のシークレットバディは山田太郎でしたー!!」

ってね。

山田太郎からすると、あなたが僕のことを沢山見ててくれて、褒めてくれてたのかー!!ってなるんじゃないですかね。きっと。嬉しいはずですよね。

改めて、シークレットバディってめちゃくちゃいいワークショップだな!!

大地さん、さすがですわ!!

これを学校教育に広めていきたいものです。

ぜひ、現職の先生方、これから先生になる方、検討してみてください!!

やべ、思ったより長くなっちゃったので、あと一つだけ。

次は、「係を決めない」

これはどういうことかと言うと、そのまんまなんですけど、必要最低限の係以外は決めないってことです。

例えば、電気係とか、黒板消し係とか、植物の水やり係とか、落とし物係とか、

ね。みんなが小学校の時は他にどんな係がありましたか?

僕はね、こういった係は無くしちゃっていいんじゃないかなと思ってるわけです。

なぜなら、自律して欲しいから。

つまり、自分の頭で考えて、自分の力で判断し、自分から動いていく力を養いたいと思っているからです。

移動教室とかで自分たちの教室を出る時に、電気の消し忘れに気づいた人が消せばいい。

ただ、最初からうまくいくとは思ってないです。きっと、みんながスルーして、何度か電気を消し忘れることがあるでしょう。

でもね、そういう時に「電気係」というものがあると、そのせいで、みんな「電気係」のせいにしちゃうでしょ。

そうやって、学校教育の中で、小さな時から「係」みたいなものに慣れて、頼っちゃうから、大きくなっても人のせい、誰かのせいにしちゃうんじゃないかと思うんです。

次第に、自分が生活する空間に、ひいてはこの社会に対する当事者意識というものが欠落していくんじゃないかと思います。

これはほんとに大きな問題だと思います。

本人に気づいてもらう、そして自分から動いてもらう。

そんな仕掛けやデザインが必要で、それは意外と簡単で、役割を与えないというところにあるんじゃないかと、思うわけです。

誰も気づかなくて、やらなかった。

という状態をどんどん繰り返していくうちに、「誰かがやってくれるから自分はいいか」という他人事意識から「自分がやらなきゃいけないんだ」という当事者意識に変えていかなきゃいけない。

これには小さな頃からの訓練の積み重ねが必要だと思います。

そうやって、自主性、主体性、自律性みたいなものは育まれていく。

「主体的に動きましょう」なんていくら言葉で言っても、主体的になんてなりません。

大人はあんまり口出ししない方がいい。

子供たちが自分で気づいて、行動できるようになる仕掛けを作り、そうなるまで待つしかない。

あれもこれもって、良かれと思って大人が手をかけすぎることが、子供の主体性を奪うんじゃないかなと思います。

放任じゃない。
仕掛けのデザイン、場創りです。

だから、僕がもし先生になって、担任を受け持ったら係は決めないつもりです。そして、例えそれが小学校1年生でも同じで、係を決めません。

学校は失敗しながら学んでいく場だから、どんどん失敗させます。

学校ほど、守られていて安全な場はないんじゃないかな。と思います。



はい。というわけで、語りすぎちゃいました。

ここまで読んでくれたあなた。
ほんとうにありがとうございます。

もう、僕のファンですね(笑)

あっという間に3600字を超えちゃいました、、、

学校教育はまだまだ変わる。変わっていかなくちゃいけない。

そのきっかけとなれるような存在として、学校の先生として現場に入りたいです。

ただ、今までの学校教育の仕組みや取り組みも素敵なものは沢山あります。改革意識バチバチというよりは、お互いの知恵やアイディアを出し合いながら、敵対関係ではなく、同じ同志として、学校の先生たちとも関係を築いていけたらなと思っています。

最近は、こんな妄想ばかりしていて、自分が教壇に立つイメージまではっきり湧いているので、教育委員会の皆さん、僕を教採で落とさないでくださいね!!!!

勉強しっかり頑張ります!!!!

今日も読んでいただきありがとございます!
結局4000字に到達しちゃいました、、

では、明日のテーマは「親は選べない。生まれてくる環境は選べない。と思っているあなたへ。」です!

どうぞお楽しみに!

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