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多様性とはなんだろか【2023年6月1日】

ふと、noteのテーマ何にしようかな〜って考えてたら、予備校に通ってた時の現代文の先生の話を思い出して。三浦武って言うんやけど。
俺はこの先生に出会ったおかげで、学ぶ楽しさを教えてもらい、好奇心を広げてもらった。本当に大好きで尊敬してる先生で。授業が90分あって、そのうちの60分は雑談に使うんだよね(笑)しかも、ただの雑談かと思いきや、その日扱う文章と繋がってて、残り30分でやる文章の解説の時に、伏線回収的な感じになってて、理解がより深くすんなり入ってくる。

とにかく、いろんな知識を持っててめっちゃ博識で、しかもユーモアも兼ね備えてて、とにかく話がめちゃくちゃ面白い。前のめりになって授業を聞いていたのを思い出す。高校の時も大学でも、よく授業中寝ちゃうことがあるんだけど、1年間、90分フルでしっかり授業受けたのは、三浦先生が初めてで。それくらい惹かれていた。

毎週、現代文の時間がすごく楽しみで、現代文のある日は、実家にいるお母さんに電話して「今日の現代文でこんなこと学んでさー」とか「こんな面白い話があってさー」って話してたっけな〜なんて、そう遠くない過去が懐かしい思い出として蘇ってきた。

文学にめちゃくちゃ詳しくて、三島由紀夫とか小林秀雄とか夏目漱石とか芥川龍之介とか、ほんとにいろんな文学者のあれこれを教えてくれて、文学の世界を広げてくれた。そのせいで、文学部に行こうかなって、一度思ったくらい強く影響を受けたし、本を読むきっかけを与えてくれた。

三浦先生との出会いで、俺は国語を専攻しようと思って、今大学で専攻してるんだよね。
しかも、ただ雑談してるだけの授業かと思いきや、ちゃんと生徒の学力も伸ばしてくれて、俺も授業聞いてるだけで、共通テストの国語はもう8割は安定して取れたし、よく時間が足りないと言われる国語も10分くらい余らせて解けるくらいに実力がついたんだよね(笑)
ほんと不思議だな〜って。

そんな三浦先生の記事があるので、ぜひ良かったら読んでみて欲しい!

三浦武 先生

まあ、そんな三浦先生への愛はこの辺にしておいて、本題に入りましょう。

多様性とはなんだろか、

三浦先生が言っていた印象的な話をさせてください。(多少記憶が曖昧で、ちょっと主観や付け足しが入ってます)

沖縄の人はセミを食べるらしい。「え〜!」ってびっくりするよね。「セミを食べるなんて変だ!」って指を指してしまう。また一方では、長野県にはバッタソフトというものがあって、ソフトクリームにバッタの佃煮が刺さってるらしい。「バッタを食べるなんて変だよ!」って指を指す。またまた一方では、山形県ではイナゴの佃煮を食べる。「イナゴを食べるなんておかしい」って指を指す。そして、日本人はタコを食べる。海外の人からみるとタコを食べる日本人は「変だ」って指を指される。

自分の常識から外れたものを「変だ」と指を指す一方で、そんな自分も他の誰かから、その人の常識から外れているので指を指される。

さっきの具体例を用いると、沖縄の人が長野の人を指を指し、長野の人が山形の人を指を指し、山形の人が沖縄の人を指を指す。日本人が外国人を指を指し、外国人が日本人を指を指す。

お互いに指を指し、指を指される構図ができる。これが多様性の本質である。

みたいなことを言っていた。(三浦先生、間違ってたらごめんなさい🙏)

自分が、変だと思う人がいる一方で、自分が変だと思われている。あいつも変で、俺も変。ということは世の中みんな変なやつなんじゃないか?だとすると「変」っていうことは機能しなくなる。

順位を測るテストで全員が100点だったらその100点は意味がないのと一緒で、全員が変だったらその「変」は意味がないものになる。

こんな感じの話をよくしていた(笑)
めっちゃ深いし、めっちゃ新鮮な視点をくれるし、全てを完全に理解することはできなかったんだけど、思考する楽しさはそこにあった。

多様性って、ただ単に「いろんな人がいるね」とか「いろんな考えがあるね」っていう単純な話でもないのかなって。

自分が指を指していることも、自分が指を指されていることも、理解する必要がある。そうして初めて他者を受け入れることができるのかな〜なんて思ったり。

なんか、結論何が言いたいかもわからないし、すんごく難しい話しだなと思いつつ、「学びって面白いな」ってすごくワクワクしてた浪人時代の初心を取り戻せた気がして、よかったです。

「教育は知を伝承する場ではなく、学ぶ動機を与える場だ」って言葉がとっても印象的で、三浦先生の授業はまさにそんな場だったなと。

すごくすごく素敵な出会いでした。

自分もそんな教育者になれるよう、日々成長していきたい。

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