幻影

本日2本目。

僕は何故か「肯定的反応ばかりを無条件に送ってきがちな相手」が苦手だ。どこがいい、とかこうするといいよ、とかそういうのはむしろ嬉しいのだが、理由がないと不気味に思えてしまう。

元々そのきらいはあったのだが、より一層それを強めたのはおそらく母親であろう。

先に言っておくと、恨み言なのでそういうのがダメな人はブラウザバックしてもろて。

で、なんで母親なん?っていう話。

なんだか「してあげてる」が私には透けて見えるように思える。私がそれをよく思うかどうかを差し置いて。見返りを求められているというかそんな気がしてしまう。

一人暮らし1年半で私は公的文書以外で1度もヘルプはおろかこちらから一切連絡していない。困るようなことは助けを呼んでどうにかなるようなことじゃなかったので。

なんて親不孝な、という話でもあるかもしれない、もちろんひとり親で半不登校反抗期病弱野郎を面倒見るのは至極大変だっただろうので敬意はある。しかし高二の夏、母親の再婚云々で家庭内を引っ掻き回されてから、何らかの情が消えてしまったようだ。(その話は無しになった。謝罪などはなかった。ただ酷い目に合わされたという認識らしい。)

そんな相手に、物資的にも金銭的にも支援されずどうして情緒的に頼ろうという気になるだろうか。

ということもお構い無しに時々、ヒステリックなまでの(時に警察などのワードを織り交ぜて。なお一人暮らしの安否確認は行政も警察も行っていません。)「心配」とやらを投げかけてくる。心労したから振り向けと?虫が良すぎるだろう。

暇になったから何か手伝おうかときたが、私はそんな助けを1度も求めていない。都合のいい庇護欲求の矛先になどなりたくもない。

まあ認知は歪んでいるだろう。あくまで主観。ただ、こんな主観を持っているので、一番恨んでいる人物の幻影が見えてしまい、一方的に何か好感情を投げかけてくる相手が苦手だ。心配というのも苦手だ。私は今まで何とかしてきたから生きてるのに、それを無視されてる気がする。

きっと私は「やり取り」がしたい。しかし話しかけ方を忘れてしまった。まあ、何とか少しずつやっていくしかない。



余剰があったらお恵みを… 懐が暖まれば書く気も湧くはず…