【滝口寺伝承(2)火宅の女⑥】
秘策と秘術
義貞を見届けた千種忠顕、長忠親子は男山(石清水)八幡宮から都を見下ろします。
「長忠よ……、どうじゃ、ここから見る都は?」
「父上、今日は良く晴れておりますな。比叡山が霞んでおりまする。」
息子長忠はまぶしくて眼を細めました。鬼神尊氏が都に迫るなか、気は安まりません。
「さて、我らも、もうひと仕事じゃ。」
「……やはり河内殿のことでしょうか。」
「あー左様左様。長忠よ、あの兄弟に一泡吹かせるには河内殿の力添えなくば、わりないわ。すぐに片を付けねば。」
「父上、新田殿へ秘策があると仰せでしたが、いかような。」
「ふふふ……。も少し近う。」やや勿体つけ、長忠が近付くと忠顕は囁きました。
「……挟撃じゃ。」
「……挟撃!?まさか新田殿を!?」
「あーお主は相変わらず独り合点よのぅ。この父の話をとくと聴くが良い。…ときに長忠、この都の地形をどう見る?」
「桓武帝の開都以来、かくのごとく栄えてまいりました。唐国の都、長安に倣い、東西南北をあまたの大路が貫き、人の往来もふかく、艮の鬼門にはあの比叡山、坤の人門にはこの八幡宮が位置しており、魔が入り込まぬよう結界が設けられている様子かと。」長忠は審かに都の各方角を指差して答えます。
「……いくさ場としてはどうじゃ。」
「は、四方を山に囲まれた盆地にて、攻めるは易く、守り難いかと。」
「そうじゃろ。結界なにするものぞ。鬼神尊氏に都を攻められれば我らは一巻の終わりよ。」
「そこで……だ。」
忠顕は比叡山をひらと指差し、ひと息吸いました。
「御所を比叡山に移し、二方より尊氏を挟撃する。」
「!?……何ですと……!?」長忠は息を飲みます。
「帝と神器を奉戴して比叡山に移り、一時都を空け渡すと見せ掛け、尊氏らを誘い込み、官軍残党にて比叡山、艮(北東)の方角より都に再び攻め入る。時を同じくして官軍新田党が乾(北西)の方角より取って返し、都へ攻め入るのよ。」
◇
「よいか、北の戦線、官軍新田党の抑えを赤松入道(円心)に任せ、尊氏らは水軍を伴って恐らく難波津あたりから澱川を遡上して……あーそこ、山崎を通って入京するであろう。」忠顕が川の手を指し示します。
「つまり尊氏は都の坤の方角から攻め入ると?……しかし尊氏らの兵力は我らの数倍、それ(挟撃)だけで勝てましょうや?」長忠はまだ理解できません。
「あー。この際、お主には話しておかねばならんかの。
この計略には軍を動かす楠木(河内守)、新田両党と、ある秘術が必要じゃ。」
◇
隠岐回想~有世
忠顕は具に語りはじめます。
「実はいま、帝の御側に安倍有世という、年の頃は十くらいのおのこがおってな。このおのこ、幼き頃よりとてつもない霊力を持っておっての。」
「?……安倍というと……あの?」
「そう、陰陽師じゃ。わしは帝の隠岐配流のときに御側につき従ったのじゃが、帝の御世話をするものは准后廉子様、少宰相様ら女御三人、わし、藤原行房殿の近習の二人じゃ。それと……、そのおのこじゃ。」
「…………‼? 帝と父上の隠岐行幸は3年ほど前。そのときはまだ童子ではないですか!?」長忠は驚きを隠せません。
「そうじゃ。配流のときにな、父親の安倍宗家 泰吉殿からこう言われたんじゃ。」
「『この子は生まれながらにして森羅万象に通じ、強い霊力を持っておりますれば、必ずや帝のお役に立つはず。帝の皇子にでも扮装させてご相伴くださいませ。』とな。わしはそのおのこの……ひとの心を見透かす翡翠のような眼、そして年端もいかぬ幼児なのにおとなのような口ぶり、振る舞いを見てな、正直震えたわ。」忠顕は口ひげを撫でなでる。
「長忠よ、後鳥羽院はどうなったか知っているか?」
「後鳥羽院は隠岐で19年過ごされたのち御隠れなされたと聴いております。」
「そうじゃ。後鳥羽院は今上帝が最も尊敬する帝じゃが、配流ののちは二度と隠岐から出ること叶わなかった。帝も御身を後鳥羽院に重ねられてな。倒幕の御心はあったが、もはや叶わないやも知れんとお覚悟もしていたのよ。……隠岐はの、一度入ったら二度と生きては出られない島なのよ。」
「たしかに。赦免以外で島を出た者はいないと聴きまする。」
「しかし我らは出ることができた。たった1年でな。」忠顕は息子の目の前にぴんと人差し指を立て示す。
「隠岐は絶海の孤島じゃ。ただでさえ波が荒く、海にはワニもいて脱出は至難の業じゃ。それにな、隠岐は島の至る所に桃符や桃板がおいてあって、外から鬼や魔が入れんようになっておる。その代わり、やんごとなきお方らは島の外にも出れぬ。」
「……海と桃板で結界を?」
「そう。結界じゃ。……古より『君臣の義』というものがあってな、臣下が主君を死罪にはできぬ。とはいえ人屋の内で死ぬれば、またその義に反する。臣下の道は主君を遠ざけ、安寧を祈るほかにない。
そこで隠岐に仮寝の御所を設け、結界を張り流刑地にした訳じゃ。」
「つまり、その結界がある限り隠岐から逃げることはできないと?」
「そうじゃ。その代わり魔も入れんから配流の帝や公卿のすまいは守られる。そもそも隠岐の佐々木判官らの手の者が厳重に監視しておるでな。恩赦のときには海の竜神の荒霊を鎮め、秘術にてその桃板の結界を解くのよ。その秘術は安倍宗家の相伝でな。」
「……そのおのこ…有世の秘術を使って隠岐から遁れられたのですね。」
「うむ。隠岐に入って以来、帝や我らは仮寝の御所で落ち込む日々を過ごし、女御らは都が恋しゅうて わんわん泣いておった。しかしな、有世は黙して、毎日じっと天を仰いでおった。ときに親指を噛んでぶつぶつ独り話しをするかと思えば、他の童子の様に蝶々や蜻蛉を追いかけておった。
一年ほど経ったある朝突然、『明日夕刻出立するゆえ、我が君ら、急ぎ御支度なされよー。忠顕殿は車の用意をー。』と我らに言い放ったわ。」
「有世が言うには、『天禽星の輝きが増している新月のうちにー。』とな。わしは少宰相殿が産気づきそうだから南の屋敷に移したいと空言して急ぎ判官に牛車を用意してもらったのよ。」
◇
隠岐回想~逃避行
忠顕の隠岐での回想は続きます。
「明くる夕刻、帝もわしも半信半疑のまま外を窺うと、衛士の姿は見えん。これは、と思い帝と女御らを御守りしながら我らは舟を求めて出ていったのはよいが、牛車は遅々として進まず、我らは衛士に怯えながら舟を探したのよ。」
◇
「もー恐れながら我が君やおのおの方、今宵は新月ですよー。間もなく日も暮れまするよー。歩いた方が早いようですぞー。」有世は手に持った笹をぶんぶん振り回し地団駄しながら一行を先導する。
童子の仕草と、そうとは思えぬ口振りが気になった一行でありましたが、今はまっしぐらに進むしかありません。
忠顕は思わず、なぜこんなに衛士がいないのか尋ねると、「新月は結界が弱まりますれば、我が秘術も甲斐あり。そもそも此処の衛士は結界が破られるなど露ほども思っておりません。それゆえ、友垣の式神に縛り付けてもらっておりまする。佐々木判官殿も、もー今頃夢の中ですよー。」と、有世は手に持った笹を無邪気に振りながら、鼻先をつんと上に向けてこたえました。
このおのこは童子なのか、はたまた何なのか、忠顕の心はずっと乱されています。
ようやく人の気配のする漁師小屋を見つけた頃、辺りは真っ暗になっていました。忠顕は小屋の漁父らに事情を話すとみな驚き、今日は波がやけに穏やかですし、帝のために何としても御奉公したいと千波の津に舟三艘を集め、その船頭をも申し出てくれました。
◇
隠岐の結界を破り、新月の澱んだ闇に頼りない小舟でいよいよ打ち出でた帝一行。行き着く先は出雲か伯耆か。命運は有世に委ねられていました。
「我こそは 新島もりよ
隠岐の海の 荒き浪かぜ 心して吹け」
後鳥羽院
火宅の女(ひと)⑦へつづく
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