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心は移ろいやすいからこそ、互いの関係は育てあうことが大事 : 柔ちゃん物語

 心とか気分って、秒速で変わっていって時々自分でも変化してることに気づかない、なんてことありませんか?

お空の雲が刻一刻、姿を変えていくように。

一瞬たりとも同じはなくて、以前の形に戻ることも二度とない。

なんでこんなことを言い出したかというと、柔ちゃん物語を書き始めてから、随分と趣旨がずれてきたというか。テーマや内容を働くことや柔道に無理によせなくてもいいんじゃないか?なんて思うようになったり笑

自己防衛みたいですが、ふと思って。

それよりか、自分が今、感じること、考えたことを新鮮なうちに書き残しておくのもありかな、と。以前のテーマを頭の片隅に置きつつ、これからは少し自由度を広げて、物語っていこうと思います(ちょっとした報告でした、お付き合いありがとうございます)

本題に入る前に、割り込みがありましたけど、もうタイトルが結論言ってて(笑)

心は変化する、それでも“関係”は続いていく

一緒にいることが当たり前になってくると、どうして一緒にいるかってことを忘れがちになります。けれど、少し意識するだけでも、お互いを深く知りあえたり、これまで以上に豊かな時間を過ごすことに繋がると思うのです。

今回はそんなことを話していきます。

最近、仲良くしてた人との関係がいつのまにか、薄ーくなっていることに気がついて、結構ショックだったんです。一度、信頼を認めたらそれがずっと続くもののように錯覚してしまったんですよね、きっと。

いつから、そうなったのか、とか、いろいろ考えてました。どこで間違ったのか、何か悪いことでもしたからなのか、とか。

でも、そこが問題じゃないのでは?とも思って。もっと根本的に考えてみて、互いの関係を疎かにしたことが原因なのでは?と思い至ったわけです。

そこでちょっと視野を広げて、“関係”ってどういうものなのかを考えるところから始めてみました。

私たちの日常って、さまざまなものや人との“関係”があって成り立ってます。

今いるところを見渡してみてください。
よかったら電話帳でも眺めてみてください。

身につけているもの、散らかった机、お気に入りの本、寝ているベッド、あたたかい食事、家族、知人、隣のおじさん…あげたらキリがないですが、とにかく、自分が接しているもの、見えるものも見えないものも、距離的な壁も取っ払って、自分と接点がある全てのものとの“関係”によって、私たちは成り立ってます。

その“関係”は、ものだろうが、人だろうが互いに出会ったままのほったらかしでは死んでしまうもので、互いに関係しあって初めて、それは生きるものなのでは?と。

例えば、人同士のとき、どちらか一方でも、互いの“関係”に無関心、もしくは意識をしなくなったら、たとえ一緒にいたとしても、その関係は途絶えてしまっているのと同じ、だと思うのです。うわべのつきあい、みたいなものでしょうか。心が通っていない状態ともいえるかもしれません。

出会った当初は互いに惹かれ合い、もしかしたら好きになって、心がぴったりくっついている、そんなとき、その関係を互いが意識しています。相手の人は何を想っているだろう、どうしたらもっと仲良くなれるかな、お互いが居心地いい関係ってどんなだろう…。

いろいろと思い巡らせてるとき、互いを意識して、その“関係”を育もうと心を働かせます。

その心の働きがあること、“関係”は勝手に続くことはなくて、育むことが大切なのではないだろうか。

互いが互いの“関係”をどのように育てようとするか、その育もうとする気持ち、つまり、相手を想いやる心が少なくなって、そのことに気づかず過ごしていると、すれ違いやずれ、感情が不安になったり、色々とよくわからない不具合が生じます。慣れって互いに気楽ですが、代わりに心が移ろいやすくなるものです。

そんなとき、過去の思い出や感動に浸るのもいいですが、その感動が今も新鮮に持続しているか、ということに注目することの方が大切かもしれません。

今、自分と他者との関係はどのように続いているか?その関係をつなぎとめているものは思い遣りか、他のことか?

その関係をどういう風に育てていきたいのか?時々振り返ってみるのは、偶然か必然か出会ったもの同士の時間を大切にすることに繋がると思います。

互いの協力があってはじめて、関係は動きはじめるのではないでしょうか。

ただ、出会いあれば別れもあるわけで、育むことだけが全てではないとも思ってます。でも、私はそこで、関係がプツンっときれるとも思えなくて。

未練がましいというよりは、別れを経験した二人として、別々に生きる関係が、また新たに生まれる、とも思えて。でも、その関係は育むものというより、いつか芽を出すかもしれない種、育み予備軍的な(笑)ものとして、二人の様子を伺っているんじゃないかな、とも想ったり…。

考えは尽きませんが、互いがなんらかの関係を持つって、ものでも人でも、すごいことだと思うんです。

だって、ある意味、超奇跡じゃないですか。今っていうかけがえのない時間を共有するだけでも尊いことだから、その時間をより豊かで楽しいものにできたら、素敵だなと思うわけで。

努力なくして、その時間は実現できないってことを自分の怠りから、学んだので、ここnoteに大切に記しておこうと思います。


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