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8.28 午前

なんだか、最近文章が書きたくてたまらない。
夜が来ることが待ち遠しくて、そわそわしている。

私が私であることに感謝しながら生きている日々。恋人は、私の光です。恋人のことを愛している自分が好きだ。「私、こんなに他人を愛せたのか。」と、日々驚かされる。恋人のすべてを愛している。きっと、恋人が何をしても、何をされても、嫌いになれない。浮気だけはしないで、と一応くぎを刺しているけれど、別に浮気されても離れられないくらい愛してるよ、君のこと。でもこれはなんか、私の思う愛ではないのであまり良くないなと思う。浮気されたら、潔く離れたい。恥ずかしくなるから。


私は恋人のことを必要としていて、恋人と一緒にいない未来は寂しいなと思うのだけれど、恋人はどうだろう。私のこと、必要としているのだろうか。以前私は、元恋人たちが私と同じ深さの好き、でないことに物悲しさを覚えていたのだけれど、恋人と私は、明確に同じ深さの好きだろうな、と安心している。同じ深さなだけ、だけど。それぞれの愛を持っていることは、当たり前で、それぞれの愛情表現があることも当たり前だ。私は言葉で伝えることに、始終心を砕いているが、恋人には別に言葉で表現してほしいとは思わない。いつか、誰の言葉であったか思い出せないのだけれど、「二組のカップルは二通りの恋愛をしていると思いがちであるが、実際は四通りの恋愛がある。」という言葉をどこかで見た。心底共感している。以前の私は、それを悲しいと思っていた。けれど、人間はどこまでもひとつである。抱きしめても、溶け合っても、二人はふたつの個のままだ。今は、それが大変好ましく思う。なぜでしょう。私は、誰かと全く同じになんてなりたくなかったからです。なれないし、そんなのおもしろくないじゃない。同じ映画を見て、全く同じ感想が浮かぶなんて、そんなの。恋人とは、果てしなく違う言語を話していたい。ラッドウィンプスみたいなことを言うけど、仮に君が木星人でも、愛している、君が君でいてくれるなら。だから、恋人には恋人らしく、私を愛してほしい。世間一般の愛なんかに振り回されずに、私のことを、君として愛してほしいのだ。私も、私として恋人のことを愛しているし、世間一般の愛に迎合するつもりはない。私たちの愛は、君と私、二つ分ある。それってどんなに素晴らしいだろう!これから先、この熱烈さを君や私が忘れてしまったとしても、その時はその時の愛し方で一緒にいられたらいいな。愛の形は変わっていくけど、私が君のことを愛していること、そして君が私のことを愛していることは、永久に変わりませんよう。生きている間、一番長く一緒にいるのは君がいい。

わがままが苦手な私の最大のわがままを君に、愛を込めて。

(実はこれ昨日の夜ほぼ書き終えておりました。タイトル詐欺でした。すまん。)


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