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noteに迎合してみた話

もしかして、私のエッセイ(のようなもの)、noteには合わないのだろうか?noteでふと、他の人のエッセイを読んで思った。
太文字を使って読みやすく!レイアウト!みたいな事ができない、そういう、不器用な人生を送ってきた。
実直に一本勝負!
そういった気概が、人生の様々な岐路で、私を窮地に追いやっているのでは?

と、思ったので少しnoteに迎合して、書いている(つもり)。
そもそも、私は、自分の文章について結構信用している。悪く言えば過信である。
妹や弟の夏休みの感想文では、傾向を読み(過去の受賞作)、対策をする(審査員にウケそうなものを書く)。そうして、いつも賞を総ナメしている。つまり!noteも傾向と対策によって大衆に読んでいただけるようなものを書けるのではないか!

と、まあ意気揚々と書いているが、これで誰にも読んでもらえなかったら、さすがに私の信用する私の文章への信頼度が失墜する可能性があるので、なかなかこれは公開できないだろう。

そういえば今日(2022.8.27)、恋人が迎合という言葉を使っていて「ワ〜、しゅき、、」と思ったものです。
私以外に使う人あんまり見ないな。

ワタクシ、胸を張って言えるほどのツイ廃であるため、普通にこういう文章を書くのも得意なのだ。でも、このスタイルでnoteを書くと、きっと本当に言いたいことを誤魔化す感じになってしまうから、もうこの記事以外にこのスタイルでは書かない。(いや、言いすぎた。急にキャラ変してこうやって書くかもしれん。)

日々、「おもろい」ことに心を砕いて生きている。文章で人を笑わせることが出来た時、私のツイッターは初めて意味があるものとなる。
一日に何個もツイートする、完全に数打ちゃ当たる戦法である。たまにnoteみたいな文章を書きたくなる時があって、我慢できず書いてしまうのだが、自分でもキャラがちゃいすぎて(違いすぎて)、若干引いてしまう。もはや二重人格とかの類だと思う。

私は言葉が口から出るのが遅いので、リアルと文章の間にも隔たりがある。まじで無口陰キャ酒雑魚小僧だよ、おれは。

こういうアップテンポな文章を書く時は一人称が「おれ」になりがち。キモイですね、非常に。ちなみにリアルの一人称はいまだに名前でそれもまたヤバいやろ。
ウケる。

つらつらと駄文、書き連ねていますが、なんの話しようかなぁ。おれの大学失敗談でも話す?これ、ウケいいんだ。

まず自己紹介からさせてもらうと、都内大学法学部4年生のおれです。残単は30弱。終わりだろ、この時点で。1年の時くらい授業とってる、キモイから。

なぜこんなことになっているかと言うと、すべて冒頭で書いた、実直に一本勝負!精神が全て悪い。
おれは先輩に過去問をもらうとか、友達に代返頼むとか、そういうことが一切できないのである。
「代返頼むくらいなら単位落とすわ」が口癖の1年、つまり3年前のおれをぶん殴りたい。教授の靴を舐めてでも単位が欲しい。いや、まじで今年ほんとに卒業しないとヤバい。もし卒業できないとなると、タイムマシンとか作って3年前のおれを殴り飛ばしにいく努力に、人生をかけるかもしれない。

煙草への愛が重すぎて単位落としたのもいい思い出である。あれは普通に教授が悪いだろ。煙草くらいバカバカ吸わせてくれ。多分、あの頃のおれは四六時中煙草の匂いを漂わせていたと思う。まじで煙草って頭皮臭くなるよな、あれはなんでなんだ。

最近咳によく痰が絡む、汚い話ですが。恋人に「おっさんみたいな咳するとこが好き」と言われる始末である。(おれの恋人はまじで変わってる)(おれは終わってるんですが、ガハハ)

知性の欠片もないな、なんだこの文章。やっぱこういうのはツイッターで充分かもしれない。
おれは
「人生ギャップあってなんぼだろ!」
と思っているので、noteでは至極真面目な顔をして、ツイッターではバカみたいなおもろい(と自分では思ってる)ことを呟く。これが最高の文章生活である。知らんけど。


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