二歳差二人育児の何が大変なのか、私なりに考えてみた
いつのまにか2児の母になっていた。
2歳の娘と0歳の息子をまさに今、毎日自宅で育てている。そんな自分を、たまに客観的に見てしまう時がある。
私、今が人生で一番大変な時かもしれない。
毎日朝5時半〜6時には起きる娘、夜中覚醒してミルクを飲む息子。そんな朝と夜ももちろん大変だけれど、二人を同時に見ながら買い物に行ったり洗濯をしたり料理をする昼間も同じくらい、いや、朝と夜以上に大変だ。
でも二人育児が大変だ、なんてことは産む前から覚悟していたし、今も「忙しい!」ということだけで気が滅入っているわけではない。
何が大変なのか自分なりに考えてみた。
私にとって一番大変だと思うのは、
自分が理想とする母親になれないこと。
その現実と向き合わなければならないこと。
だと思う。
娘はイヤイヤ期で、何でもかんでも嫌!違う!だめなの!と反抗する。私が「次はこれをやってあれをやって、○時までにはあれを終わらせて…」と何となく頭の中で思い描いているスケジュールは、見事にすべてが崩されていく。
時には危険なこともしでかす。
道路にフラフラと近づいたり、息子を踏みそうになったり…そんな時は思わず大きな声が出る。
それとは別に、私の都合で声を荒らげてしまうこともある。例えば、畳んだばかりの洗濯物を一枚一枚広げ始めたり(笑)買ったばかりのクレヨンを折り始めたり(笑)文字にすると面白いのだが、当事者になってみると穏やかではいられない。本当は優しく諭す系のお母さんになりたかったし、声を荒げるのは命の危険がある時だけです!と胸を張って言いたかったが無理そうだ。
一方で息子はというと、ミルクを飲みたい、おむつを替えてほしい、着替えたい、暑い、寒い、など私がお世話をしなければならないことが盛り沢山なので、それなりに時間を割かれる。
そして息子のお世話をしている間も、娘は私の周りにまとわりつき、「お医者さんごっこしよう〜」「お店屋さんごっこは〜?」「パズル一緒にやろうよ〜」と永遠かと思うくらいずっと遊びに誘ってくる。
そのたびに私は「ちょっと待ってて〜」「これが終わったら遊ぼうね」「今はできないの」と何かと断っている。
それでもしつこくしてくると、「ちょっと待っててって言ってるでしょ!」「これが終わったらやってあげるから!」と鬼の角が見え隠れする。
私だって遊んであげたいし娘の喜ぶ顔が見たい。でも息子はずっと泣いているし、買い物に行かないと明日のバナナが無いし、もうすぐ夕飯なのにご飯を炊いていないし、一緒に遊んでいる時間が無いの!!!!本当にごめんね!!!
そう思いながらバタバタと過ごし、夜子どもたちが寝てから、娘が一人で遊び散らかしたパズルやらおままごとグッズを床から拾い上げる。
そして、ふと考える。
今日、娘の「遊ぼう?」という誘いに何回乗ってあげられただろうか。誘っても誘っても断られて一人で遊ぶ娘の姿を、私は見てもいなかった。
こんなところにクレヨンで落書きして…!もう!と壁を拭きながら、あれ、これいつ落書きしたんだろう?お米研いでるときかな、息子にミルクあげていたときかな。考えても考えてもわからなかった。
あぁ…今日一日で娘はどれだけ寂しい思いをしたんだろう?
明日は、明日こそはいっぱい遊んであげよう!たくさん笑って、たくさん抱きしめよう!
毎日毎日そう思うのだ。
理想の母親像を思い描いて。
でもそれが、びっくりするほどできないのだ。
愛しているからこそ、できない自分に腹が立って、子供に申し訳なくて、心が疲れる。
娘も息子も同じくらい愛しているし、同じくらいの時間をかけて見てあげたい。二人とも寂しい悲しい思いはさせたくない。
でも、そんな器用な育児ってたぶん無理だ。
母親の体は一つしかなくて、寸分違わず平等に愛情という名の時間を与えることなんて、誰だってできっこないんだと思う。
でも私を含め、大多数の母親が、愛しているが故にそれができない自分を責めている気がする。
そんな自分を受け止め、明日は頑張ろう、明日こそは…!という気持ちを持って毎日毎日家事育児に取り組む。その不屈の精神こそが、二人育児の大変さかな、なんて思った。
私も、今日のこの罪悪感と自己嫌悪をコーヒーで吹き飛ばして、明日もまた母ちゃんを頑張るのだ!!!!!
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