その角度からでは課題に気づくことができない。
こんにちは。ナッツです。
今日は、「課題の死角の見つけ方」みたいな話をします。
この話は少しエグめな話もあるので、どちらかというとリアルの場での発表でやろうかと思ったのですが、じっくり考えてみてほしいのでテキストベースで投稿することにしました。
さて。
今、学校では文化祭の準備が始まっています。
展示の準備を始めつつあったり、ダンスの振り付けを練習し始めたり。
文化祭でやることは、「教師がこれをやる!」と話を進めるやり方もあれば、「生徒がこれをやりたい!」と話を進めるパターンと両方あります。
前者のトップダウンのやり方は大人が進める分、出し物のクオリティが高くなる代わりに、独裁性が高くなる。
後者は民主的である代わりにクオリティは高校生のアイデアに依存しますので、似たりよったりになったり無難なアイデアになることが多いです。
私は民主的に進めるやり方が好みですが、現場ではどちらのやり方が主流かというと、半分半分ずつくらいだと思います。
今までトップダウンのやり方でやっていた先生でも、最近は躓くことも多くあるみたいで、先生はやる気が漲っているのですが、このやり方はどうしても生徒の意思を無視して強権的になりがちなんですね。
どうしても「文化祭は先生のものじゃない!意見を聞いてくれない。私物化するのをやめてほしい!」といった意見が出てしまいます。
今はネットが普及することにより、子どもたちもクオリティの高い文化祭の例を見たり、エンタメに触れることができているので、大人の情報にはないアイデアも案外持っています。
それが表に出ることなく、大人に決められるのが不満になるのかもしれません。
そのような背景から、教師が提示した内容が子どもたちにとってピンと来ないことが徐々に多くなってきている。
先生が「これで行くよ!」と今まではすんなり話が通っていたのが、最近はなかなか子どもたちに浸透せず、むしろ逆に「教師が決めるなよ」と衝突してしまうのかもしれません。
今まではそのスタイルで素晴らしいものを作っていた先生ほど、そのような反発に戸惑ってしまいます。
自分のスタイルが確立しているからこそ、綻びが目に見えない。
「イノベーションのジレンマ」という理論がありますがご存知ですか?
これは、「画期的な技術であったりを考えついた人・組織は、次のイノベーションを中々起こせない」といったものです。
昔、MDという音楽を保存するディスクを発明した会社は、めちゃくちゃそのシェアを拡大しました。そのため、その会社はお客さんのMDを求める声に応えるためにMDの生産力を上げたりして頑張るのですが、その一方で、「音楽はiPhoneに保存すれば良くね?」という人達が現れました。
初めは小さな波だったのですが、テクノロジーの発展によってあっという間にMD勢はiPhone勢に飲み込まれてしまいます。
MDを作っている会社は、長年そこに技術力を集結してしまっていたおかげでもう対抗する力なり、新規参入するための体力が残っていません。。。的な話です。
教育でも、
例えば「アクティブラーニング」をマスターした人はなかなかその成功体験からも、その手法から脱却して新しい方法を手に入れようとはしなくなってしまいます。
時代が求めるアクティブラーニングを一点集中で極めてしまい、それ以外に弱くなり、結果的にアクティブラーニングが時代的に通用しなくなった時にはもう手遅れみたいな感じです。
これらの話の教訓としては、
”どれだけ革新的な物でもすぐに廃れる物だから、絶えず情報を収集して、新しいものにはアンテナを張っておこうな”ってことです。
だから、自分の教育方法をしっかり振り返ったときに、その方法は、その時代ではうまくいって1000人の敵を切ったけど、10年後には1人も切れないことがフツーに起きるから、捨てる覚悟が必要ってわけです。
文化祭の先生の例で言うと、このやり方で今までたくさんの感動を生んできたからこそ、そのやり方を否定する人が何人も現れた時に途端に太刀打ちできなくなってしまいます。そして、その手法を手放すことができない。
トップダウンにはデメリットもあるので、それを予測しながらケアする必要があるのですが、今までは「生徒は無条件に教師の言う事を聞く」と思っていたところが今の時代はそうではなく、予想外に波が大きくなったのでリカバーが難しいのかもしれません。
こういったことは教師の世界では日常茶飯事なので、きっと乗り切ると思います。もちろん私にも明日起こるかもしれませんし、組織の上に立つ人全てに当てはまる教訓だと思っています。
前置きが長くなりましたが・・・
今日はここまで話しておいて、イノベーションのジレンマについてお話するつもりはなくて。。。
このイノベーションのジレンマを提唱した人の名前がクリステンセン教授というのですが、この人がもう1つ提唱した理論があります。
その理論の名は「ジョブ理論」というものです。
あの人が解決したいジョブは何か?
ジョブ理論というのは何かというと、割と新しい理論でして、一言で言うと「顧客が解決したいこと(ジョブ)は何か?それを解決する存在(ハイア)は何か?」について考えた理論です。
今までで言うと、例えば「ニーズ」という見方があります。
消費者が欲しいものはなんだろう?顧客がドリルを買いに来るのは、ドリルが欲しいんじゃなくて穴が欲しいからだよね~
的なヤツです。
それを少し違う見方をしています。
人が何かを求めるとき、そこには何か成し遂げたいことがあるはずです。
ジョブ理論では、このことを『ジョブ』と言います。
そのジョブを解決するものを『ハイア』(雇用)といったりします。
困っていること⇒ジョブ
それを解決するもの⇒ハイア
です。
わかりにくいと思うので例に出します。
小さなカフェで「ミルクシェイクを更に売るにはどうすればいいか?」という会議がありました。
ミルクシェイクが売れている理由を短絡的に考えると、「よし、次は種類を増やそう!」という結論になりがちです。
ここでジョブ理論を通してみると、「ミルクシェイクを買いにくる顧客のジョブは何だ?」と考えます。
すると、そのような視点でミルクシェイクが売れる理由を分析してみると、味とか種類の豊富さで選んでいるのではなくて、「20分ほどの暇つぶし」であることが分かりました。
「20分ほど小腹を満たして時間を潰したい」というジョブを叶えるためにミルクシェイクをハイアしたって事です。
さらにこれらは、特定の状況下で変わります。
平日の朝でしたら、「小腹を満たしながら時間を潰す」
休日の昼下がりでしたら、「子供の喜ぶ顔が見たい」
かもしれません。
この考え方は、ミルクシェイク自体のスペックに注目していたらここには行き着きません。
他の例では、
高級なレストランに行くことを考えます。
この場合のジョブは何かというと、「おなかを満たす」ということだけではありません。
「お腹を満たす」だけだとコンビニのごはんでもいいはずです。
ここで、高級レストランに行く人のジョブは何だろう?と考えると、色々と見えてきます。
「こんな店を知っている」という名誉もジョブにあたります。相手の喜んでいる顔を見たいということもジョブかもしれません。
これらを達成するために、「高級なレストランに行く」という行為をハイア(雇っている)訳です。
大体いけますか?
自分の仕事にどう活かす?
このように自分の仕事でも、「眼の前の相手の解決したいジョブはなにか?」という目線で見ると結構色々と見えてきます。
「高校なんて来たくて来ている訳じゃねえよ!」と言って、一見どうしようもなく先生の言う事を聞かない生徒がいた場合も、「この子のジョブは何か?」で見る。
もしかすると、「なるべくラクに高校の卒業資格がほしい」かもしれないし、「高校に来る理由を与えてほしい」かもしれない。生徒自身も何を解決したいかわかっていないかもしれません。
相手のジョブを分析し、仮説を立てて、ひたすらハイアする具体的な手をバンバン出すのが一番の解決策だし、それしかない。そこを怠っちゃダメ。
文化祭をきっかけに反発する生徒たちのジョブはなんだと思いますか?そして、ハイアは何だと思いますか?考えてみてください。
日々過ごしていると、難しい問題に直面します。
また、イノベーションのジレンマに陥ってしまうと、新しい波に乗ることにも遅れてしまいます。
その時に、目の前の相手を分析した上で、その都度新たな価値の提供を模索していく必要があります。
それが、ジョブ理論の考え方です。
すべてのアクション、アイデアって課題の設定が全てを左右すると思います。
分析をミスって、課題の設定の仕方をミスって、改善策をミスって、、、の繰り返しで困っている方は、「課題設定の死角」に気づいていない可能性があるので、一度リセットして考えてみてください。
以上でーす!
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