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「学校の勉強なんか社会で役に立たない。」という説を否定してみる。

みなさんこんにちは。Maimaiです。

私が学生の頃からすでによく言われていたことですが、「学校の勉強なんか社会でなんの役に立つの。」って言葉、聞いたことありませんか?

これ、本当なのかなぁ。と思ったので、ちょっと考えてみました!

学校の先生が、生徒にこれを聞かれて答えられないようでは、、、とも思いますし、実際に生徒が「なるほどね。」と思えるだけの考えを提供したいので、思うところがあればコメントください!

○結論

さっそく私の考える結論からお話ししますが、結論は

「勉強したことがそのまま役に立つわけではない。」です。

実際に私も国語の教師として働いていますが、学校で学んだことは入試や採用試験で一般教養を解く際に使ったきりです。

じゃあ、別に勉強しなくてもいいじゃないか。という話になってきますが、

「ただし、役立てるのは自分次第である。」と思うのです。

この部分を説明するために、今回は

・役に立たないなんていつわかる?

・知らなければ気付きもしない

・学歴は就活の武器

・常に勉強しながら生きること

に焦点をあてて話します。

○役に立たないなんていつわかる?

学校に通っている間は、まだ将来のことを明確に決めていない生徒が大半です。そんな中で、今勉強していることが将来役に立たないというその根拠はどこにあるのでしょうか。

「多くの大人がそう言っているから。」という声もあるかもしれません。しかし、それはその大人達が現時点で役立たせていないからです。

先ほども言いましたが、役立てるのは自分次第。最初から「どうせ役に立たないし。」なんて言って、ろくに受けもしないでいたら自分の可能性を潰しているかもしれない。

例えば、これはかの有名な『平家物語』冒頭です。中学校などでは暗唱させることもあるので、誰しもが一度は見たことのある文章でしょう。

さて、どうですか。現時点で学校外で使用したことはあるでしょうか。


「ない。」と答える人がほとんどだと思います。

しかし、ちゃんと役立てている人はいます。それは、文学研究者、歴史研究者、小説家など国語に関する仕事ももちろんですが歌手や作詞をしている人も役立てていたりします。

KANABOONの「盛者必衰の理、お断り」や宇多田ヒカルの「traveling」なんかは随所に「平家物語」の言葉が登場します。使用している意図は、「平家物語」の栄華と衰退かもしれません。(栄華は一瞬で儚いものであるなど。)


他にも、例えば数学は日常生活でも使う場面は多そうですが、三角関数はどうでしょうか。

こちらも一見、社会に出ても役立たないものに見えるかもしれません。

しかし、これは道路整備や坂道を造る人、建築関係に就職すれば必ず使うものです。坂道の勾配、建物を建てるときの水の流れを考えるためなどです。


さて、少しまとめますが、

「未来の自分は何をしているのか。」「今してることの何が役に立つか。」

なんてことは誰も予測できません。予測できないから、どんな未来であっても対応できるだけの力は身につけておく必要があります。自分で自分の可能性を狭めない。そのために幅広いジャンルを学ぶのではないでしょうか。

○知らなければ気付きもしない

次に無知だったら気づくことすらできないって話をします。

さて、いきなりですがみなさんはAくんBさんのどちらと一緒に掃除をしますか?

これ、実はAくんの持っている洗剤は併用すると有毒ガスが発生するんです。洗剤なんかはよく「混ぜるな危険!」と書かれていますが、まさしくこれです。

塩素系の洗剤と酸性の洗剤を混ぜると塩素ガスが発生するため、基本的には洗剤は混ぜたり一緒に使ったりすべきではないとされています。これも、学校の理科の範囲で学びます。

しかし、知らなければ間違えて使用してしまうかもしれません。

次に右の例ですが、こちらには漢字の誤用があります。どこにあるでしょうか。


答えは

ここです。些細な漢字の誤用ですが、それだけでも受け取り方は大きく変わってきます。

「知らなければ気付きもしない」と言いましたが、知らなければ自分が間違っていることにすら気付けないということです。

また、最後の例に関しては

「漢字なんて携帯で勝手に変換してくれるやん。」という生徒もいるでしょう。しかし、

「知っているがAIを使った方がラクなので使用している。」というのと
「知らないけれどAIが勝手に変換してくれるから使っている。」ではまったく違います。
例の通り、変換してくれていてもそれが間違いであるということにすら気付けない。

○学歴は就活の武器

少し現実的な話になりますが、現代の社会はまだまだ「学歴社会」です。

その人自身のことも見てくれますが、学歴は人物評価の「ものさし」になっている側面は大きいでしょう。「続けていける力」「乗り越える力」「吸収力」「コミュニケーション能力」・・・。

逆に言えば、受験や就活でそこをアピールポイントにできます。

○常に勉強しながら生きること

最後に、
みなさんはこの写真を見てどう書き表しますか?

多種多様、十人十色のこたえがあるかもしれません。これ、教科別で見てみると

国語なら「透明なコップに泡を立てて水を注いでいる。」

数学なら「200mlのコップに120ml水を注いでいる。」

社会なら「中国産のコップに入っている静岡産の水。」

理科なら「水道水をコップに注ぎ、勢いで一時的に水気泡ができている。」

と書き表すことができるでしょう。

何が言いたいかというと、様々な教科を学ぶということは、多くの視点をもつことにつながるよってことです。

多くの視点を持てば、人生は豊かになります。一つの見方でしか世界を捉えられていなかったことが、より多面的・多角的に世界を見ることができます。

これは、私が思う「勉強する意味」にも通じますが、勉強することで人生は豊かになります。

○まとめ

最後の方は勉強する意味に近い話になってしまいましたが、今回は「学校の勉強なんか社会で役に立たない。」という説を否定してみる。という題で話しました。

結論としては「勉強したことがそのまま役に立つわけではない。が、役立てるのは自分次第である。」です。

正直、もっと年金とか資産運用とかお金のことについて教えてよみたいな人もいると思うのですが、まずその前提で基礎基盤作りも重要であるし、目先の利益がすべてではなく、数年、数十年後に学んだ意味がわかることもあると思います。そのように、先を見据えた教育を実践していきたいなと思いました。



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