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ちょこっとチョコレートの話をしてみる

チョコレートのシーズン

ケイです。一年の中で最もチョコレートの売り場が華やぐ時期ですね。デパートやショッピングモール、スーパーでさえも専用のブースが設営されていて、毎年わくわくします。

地理の授業ではアフリカの産業の話をするとき、「ギニア湾岸の国々ではカカオの栽培が盛んで、世界の生産量の約6割を占める」のだと説明します。コートジボワールが生産量第1位(2,180千トン/2019年)、ガーナが生産量第2位(812千トン/2019年)です。ちなみに第3位はインドネシア(784千トン/2019年)で2位と結構近い感じです。板チョコの商品名から、“カカオといったらガーナ”のイメージが強くなりがちですが、実はコートジボワールの生産量が圧倒的に多いのです。

それでは、カカオを原料に作られるチョコレートの生産量が多い国はどこでしょうか?
日本チョコレート・ココア協会のウェブサイト(http://www.chocolate-cocoa.com/statistics/)を参照すれば、ドイツ(1,158,940トン/2019年)が圧倒的に多く、イタリア(339,576トン/2019年)等のヨーロッパの国々がこの後に続く印象です。(アメリカがドイツ生産量を上回っている古いデータもあるようですが、近年のデータは見つけられませんでした…。)
日本もチョコレート製品の生産量は結構多いようです。(243,870トン/2020年)

事実として、チョコレートの生産量が多い国は“先進国”と呼ばれる国々であって、消費量が多い国もまた“先進国”です。(※)それは、原料であるカカオを生産する国の人々にとって、チョコレートは身近なものではないということでもあります。現実はとても苦い。

※チョコレートの消費量は北ヨーロッパ圏が特に多いようです。チョコレートの消費量がトップクラスのスイス人は一人当たり年間9.8kg(2019年)消費しているそう。その一方で、アフリカや中東、アジアの多くの地域ではあまり消費されていない傾向にあるようですが、日本だけは例外でスペインやポルトガルレベルには消費量があるらしい…。(一人当たり年間2.1kg(2020年))

「チョコレートはつねに貧しい労働者が生産しては、富裕層が消費してきた」

参考図書:サラ・モス、アレクサンダー・バデノック(2013)『お菓子の図書館 チョコレートの歴史物語』(堤里華、訳)原書房

現在、カカオの生産地はアフリカというイメージが強いですが、その原産地はアメリカ大陸です。ちなみに最古のカカオが付着した土器が発見された場所は、ベリーズの先古典期マヤ文明の遺跡でオルメカ時代(前1500~前400年頃)に築かれたものだそうです。
最初期のチョコレートは、栽培地で発酵と乾燥を済ませたカカオ豆を消費者である富裕層のもとまで運び、すりつぶされ、トウモロコシ粉のペーストや香料(バニラやチリペッパー等)、調味料が加えられてカカオ・ペーストにされたそう。これを水で薄めて飲み物にしていたといいます。古代において、チョコレート用の壺が副葬品として貴人の墓所で発見されたり、カカオ豆が貨幣として機能していたとみられること。また、スペイン人がアステカの宮廷を占拠した1521年の段階でカカオ豆が貯蔵資産であった事実からも、カカオ豆は大変価値のあるものだったことがうかがえます。

大航海時代を経て、スペインの征服者たちがアステカの首都を攻略したのち、チョコレートは入植してきたスペイン人たちの間にも浸透していきました。ただし、この段階のチョコレートもお菓子とはほど遠く、薬や健康食品としての飲まれていたようです。(飲みすぎは健康にはよくないという見解もあった模様。)ゆえにチョコレートの原料であるカカオの生産量を増やせば儲かることはあきらかで、ポルトガル領の植民地等では次第にカカオの大規模栽培が目指されるようになりました。農場での強制労働を担ったのは(土地に精通しいつでも逃走可能な)原住民ではなく、アフリカ大陸から連れてこられた奴隷でした。(カカオはその作業工程の多さから、成人のみならず、子ども・妊娠後期の女性・年寄りにいたるまで農場で働かされたのだとか…)こうして、カカオの栽培は奴隷貿易と切っても切れない関係となっていきます。

16世紀後半に、スペイン人が本国へとチョコレートを持ち帰ったことが契機となり、次第にヨーロッパ諸国へとチョコレートが広まっていきました。広まっていく過程でチョコレートの飲み方は少しずつアレンジされていきます。また、17世紀前半のロンドンでは主に男性社会の社交場としてチョコレートハウスが出現し、18世紀初頭には現代の「ホットチョコレート」に近いレシピ、クリームやパフなどの飲まずに“食べる”レシピが出現しました。しかし、18世紀の間、チョコレートはあくまで特権階級を象徴する品でした。


19世紀は歴史においても、チョコレートにとっても大きな変動の時代です。フランス革命以降、ナポレオンが引き起こした戦争はヨーロッパへのチョコレートの輸入を止めました。フランス革命は、中南米の植民地が独立運動へと向かうきっかけにもなりました。奴隷の労働によって成り立っていたカカオ農場は経営に行き詰まり、カカオは深刻な供給不足に陥ります。
そんなチョコレートの低迷期に技術革新は起こりました。チョコレートの生産が機械化したことで大量生産が実現すると、少しずつ庶民の手に届くようになってきました。現在でも知名度の高いチョコレートブランドの多くはこの時代に創業し、私達にとってはお馴染みの固形チョコレートが登場したのもこの時代です。やがて低迷期を乗り越えたチョコレートは、中流家庭において母親が子どもに与える理想的なおやつであり、労働者階級においては栄養価の高い食事のとして扱われるようにもなりました。

カカオの生産地がアメリカ大陸からアフリカやインドネシア等に移っていったのもこの時代です。主な原因は中南米における独立運動のヒートアップと、カカオ農園に媒介した病害でした。アメリカ大陸では次第に奴隷制を禁止する国が増え、奴隷の強制労働によってカカオを生産することができなくなっていきました。こうして、大西洋の奴隷貿易はゆっくりと消滅していきます。

ところが、“奴隷貿易が消滅してめでたしめでたし”とはいきませんでした。強制労働の場所が西アフリカの植民地に移動しただけで、さらにその規模はカカオの需要の増大とともに拡大したそうです。奴隷貿易さえしなければ、奴隷供給地の西アフリカであれば、国際社会にバレることなくまだまだ強制労働が可能だったというのが20世紀初頭の現実でした。1905年にイギリスのジャーナリストによってこの奴隷労働が報道された後も、農場で働く人々の労働環境改善は困難を極めています。現に2001年に動き出したハーキン・エンゲル議定書と呼ばれる協定(チョコレートの「奴隷不使用」認証制度の確立を試みるもの)の目標を、2005年6月時点でチョコレート業界は達成できていないそうです。

むすびに

冒頭でも述べましたが、現在においてもチョコレートにまつわる貿易はいびつであり、その実態はかなり不平等なものです。カカオ豆を適正な価格で取り引きして作るフェアトレード・チョコレートの知名度や市場でのシェアは伸びてきているそうですが、フェアトレードは西アフリカにおいて十分に実現されているとはいいがたい状況です。甘いチョコレートの背景にある問題は、21世紀の現在においてもまだまだ苦いようです。

とりとめもない投稿になりましたが、最後まで読んでくださってありがとうございます。
今後、チョコレートを口にする際には今回のコラムをほんのりと思い出してもらえたら幸いです。

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