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「レプリカ」について思うこと②

こんばんは。ケイです。社会科の教員をしています。今年もあとひと月ちょっと。年々時の流れる速度は加速しているのではないかと思っています。

前回のコラムでは「レプリカ replica」の活用についてザックリと並べてみたので、今回は私がレプリカに対して持っている雑感をつらつらと書いていこうと思います。


ずっと見たかったレプリカを見に行った話

唐突ですが、少し前、四国に住む友人から結婚式にお招きいただきました。ついでに少し足をのばして、ずっと見たかったレプリカを見に行くことにしました。
向かった場所は徳島県の「大塚国際美術館」。陶板で原寸大に複製された1000点余りの西洋名画を鑑賞することができます。
入館して長いエスカレーターをのぼると、すぐに目的のレプリカがありました。
環境展示「ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画および壁画」です。(何年か前の紅白歌合戦で米津玄師さんがLemonを歌っていたあの場所です)


環境展示「ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画および壁画」

ルネサンスの巨匠、ミケランジェロの手によって描かれたオリジナルはバチカン市国にあります。この天井画や壁画の写真は、世界史の教科書や資料集には必ずといっていいほど掲載されています。しかしながら、名画の一部を切り抜いた図版の写真では、この天井画と壁画のスケール感を感じ取ることはほぼ不可能です。
オリジナルを見ようにも、簡単に行ける場所ではありません。(特にこのコロナの時代には一層ハードルが高いです。)国内で原寸大の複製が見られることは、私としてはとてもありがたかったです。

実際に展示を見て、身体的にスケールを感じることで改めて巨匠ミケランジェロの凄さを確認しました。このスケールの仕事を、ほぼ一人で書き上げたという事実に驚愕します。(この仕事で首が曲がってしまったなんて逸話があることにも素直に納得してしまう…)

レプリカなので、写真のような展示もありました。
実際には高い位置にあってよく分からない天井部分のサイズ感も体感できます。

天井画の一部分を身近に鑑賞できるコーナー

誰しもが写真で見たことがある超有名な絵画でも、原寸が正しく理解されていないことはよくあります。「思っていたよりはるかに大きい」とか「こんなに小さかったのか」なんてことはざらです。原寸大のレプリカ絵画の鑑賞は、そのそばに身を置いて、そのスケール感を確かめていく体験ができるのでおすすめです。

レプリカはやはりレプリカである

大変精巧に制作された原寸大の陶板の複製達を見て感銘を受けつつ、もう一つ感じたことがありました。
それは「レプリカはやはりレプリカである」ということです。いくら精巧に複製されていても、やっぱりそれはオリジナルになりえないのだなあと思いました。

この美術館の場合、複製方法が陶板の限定されているため、再現性に限界があるものがありました。古代のモザイク(小片を寄せて作成する絵画)や陶器に描かれた絵画など、表面に凹凸があったり、平面ではない所に描かれたものについてはその細部がどうしても完全に復元できないのです。

また、陶板は長い年月を経ても色あせにくいといいます。100年、200年後の未来にオリジナルが色あせてしまっても、陶板の複製では今の色や姿を残すことができるそうです。
この点も言い換えてしまえば、オリジナルと複製では、使われている画材や制作方法が決定的に違うことを意味します。やはりオリジナルとレプリカはまったくの別物なのです。

前回のコラムでは、“偽物のレプリカであっても、美術品や文化財と関わる目的が「学び」である場合には非常に頼もしい存在”であると述べました。しかし、レプリカはどうやってもオリジナルと同等にはなりえず、制作方法によって何かしらの差異が生じるということを忘れてはいけないのだと思います。そして、オリジナルとレプリカの差異を正しく理解したうえで、レプリカを適切に活用していくことが大切であることを改めて確認しました。

授業におけるレプリカの活用

社会科の授業においてレプリカを見せる教員は一定数いらっしゃる印象を受けます。あくまで私の体感ですが、金印のレプリカ、富本銭のレプリカetc… 日本史の授業に多い印象です。(比較的レプリカを調達しやすいから?)

このようなレプリカは、写真を見るだけでは分からない実際のスケールを身体的に感じることができるので、とてもよい学びのツールになります。以前に述べていた“見て満足”“見せて満足”からの脱却はこういうところから目指していくべきなのだろうとも思います。

しかし、授業においても「レプリカはやはりレプリカである」という視点を忘れたくないものです。たとえスケールが正確でも、質量は?質感は?果たして正確なのでしょうか。教える側の教員ですらオリジナルとレプリカとの差異を正しくとらえきれないものの方が実際には多いように思います。(私がオリジナルの金印に触れる機会など、おそらく一生ないでしょう(笑))この事実を教員側が自覚し、開示し、適切な扱いをしてこそ「レプリカ」を使用した学びは効果を発揮するのだろうと漠然と思う今日この頃なのでした。

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