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流産と自然排出

1度目の稽留流産の後、しばらくは妊活もやめた。
気持ちが落ち込んだままだった。

火葬後、遺骨はお墓にいれる気にならなかった。
もう少し、もう少し一緒にいようと思ったのだ。

名前をつけようか?とも思ったけれど
それが天国に行けない呪いのようになってはいけないと感じやめた。

それからまた時間がたち、翌年の6月。

妊娠検査薬で陽性反応が出た!
でも前回のことがあり不安しかなかった。

初診もその後も、また心拍は確認できた。
しかしお腹の痛みと出血がとまらない。

「今の週数ではできることがありません。
安静にしてください。」

当時2歳になったばかりの娘をワンオペで見ながら、
通勤に1時間以上かかる職場に通っていた私には安静が難しかった。

できるだけ横になる。
お腹の痛みが強い時には仕事を休む。

それでも、お腹の痛みは日に日に強くなってきた。

ある夜、お腹の痛みに耐えようとお風呂で温まろうとした。
シャワーで体を流していた瞬間、大量出血。

その中に小さな赤ちゃんがいた。

見てすぐ、分かった。
小さな目に小さな手、顔立ちまで分かった。

ーーー

冷静になった私は病院に電話をした。
赤ちゃんと思われるものをラップに包み、明日もってきてと言われた。

ラップに包み、念のためジップロックにいれて冷蔵庫に入れた。
なんとなく常温よりいいかと思って。

その後ナプキンを買いに薬局に行くとその途中で胎盤がドン!と出てきた。
それもまたラップで包み冷蔵庫に。

翌日、病院で確認してもらって赤ちゃんと胎盤であったことと
すべてきれいに排出できているので手術が不要だという説明があった。

また心が空っぽになった。

2度、流産を繰り返す状態を『反復流産』と呼ぶらしい。

しかしまだ20代後半の私には運が悪かっただけ、との診断で
特段次の妊娠に問題はないだろうと言われた。

そうだとしても、そうだと思えなかった。
もう妊娠できないんじゃないか?
もう子供を産めないんじゃないか?

誰にも言えない、旦那にはあまり理解されない孤独な気持ちが消えなかった。

今も妊娠中と、昨日の始めに書いたが
4ヶ月で今のところ2回の流産の時期は過ぎている。

それでも安心した日はない。生まれても、生まれる日までも安心する日はないと思う。

なくなった子供の処置は、産婦人科がしてくれた。
しかしその後、不眠になった際には寄り添ってくれず、自分で病院を探してくれ、よくあることだからと言われた。

その時だけではない、その後の気持ちにも寄り添ってくれたら
もう少し早く前向きになれたのかもしれない。
もう少し安心して今の妊娠生活を送れていたかもしれない。
(結局、その病院の対応が嫌で今は別の病院にかかっているのでいいのだが)

お腹に宿った命が、消えることなく幸せになるように
今日も今日とて願わずにはいられない。

にゅう

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