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真面目な人が報われる世界にならないでほしい【マジメ批判②】

「更生した不良よりもずっと真面目に生きてきた人が一番偉い!」

これはTwitterでよく見かける常套句であり、ネット上では大変評判がいい。

だが僕はこの常套句を見るたびに違和感を覚える。

更生した不良が偉くないというのは同意だが、かといって真面目に生きることも別に偉くないと思っているからだ。

むしろ真面目の種類によっては不良よりタチが悪いのではないだろうか?


タチの悪い真面目さ


真面目さは大きく分けて2種類ある。

1つは勤勉、誠実、正直(≠無神経)、といった害のない真面目さ

もう1つが不寛容、潔癖、盲従的、融通が利かない、真面目を強要する、といったタチの悪い真面目さ

前者は長所と言えるかもしれないが、後者は明らかに欠点だ。


少なからぬ日本人は真面目を美徳とみなし、自らの真面目さを誇りにする。

だが彼らが持っているのは往々にして「タチの悪い真面目さ」である。

つまり彼らは欠点を誇っているのだ。

誇りにしているのだから、それは一生治ることがない。

そういう意味では更生の可能性がある不良よりタチが悪いとも言える。


人間の本性


もし親や教師の教えを遵守することを真面目と呼ぶのなら、それは誇りにするようなものではない。

人は本性的に真面目だからだ。

暑ければ汗が流れ、寒ければ体が震えるのと同様に、意識せずとも人は真面目に向かう。

教えを遵守することは、人間にとってもっとも自然で簡単なことなのだ。

それを誇るのは汗や震えを誇るようなものである。


真面目と不真面目


知識を増やすことは容易い。

ネットだろうが本だろうがテレビだろうが、とにかく情報に触れさえすれば知識は増える。

つまり生きていれば自然に知識は増えていく。

肝心なのは、知識を取捨選択することだ。

これを怠ると、胡散臭いインフルエンサーに騙されたり、ヘンテコな政治思想を持ってしまったり、誹謗中傷者の仲間入りをしたりする。


同様に、親や教師の教えも取捨選択することが肝心なのである。

いかに優秀な教育者であっても、誤りや不十分な点はいくらでもあるのだから。

教えを取捨選択することは、教えを遵守するよりもずっと難易度が高い。

不真面目であることは、真面目であるよりもずっと難易度が高い。

もっとも世間の人々は逆に考えているようだが……

書物を盲信する者はいわば、いくつもの小計を合算して総計をはじき出す際に、それぞれの小計が正しく算出されているか否かを検算しないのと同じことをしている仕儀になる。そして、最後の段になって誤りに気づいても最初の前提を疑うことをしないので、誤りを取り除く方法が分からず、そうした書物に翻弄され、無駄な時間を過ごすことになる。

ホッブズ『リヴァイアサン1』角田安正訳,光文社古典新訳文庫.


仕事と真面目さ


これまでさまざまな職場を経験したが、仕事が遅い人に必ずと言っていいほど共通する特徴がある。

とにかく生真面目なのだ。

むろん真面目に仕事をすることは悪くない。

だが彼らはどうでもいい些細な部分にこだわったり、やらなくてもいい仕事に全力で取り組んだりしてしまうのである。


いや、それだけなら別にいい。

問題なのは他人に干渉するタイプだったときだ。

どうも彼らは何事もきちっと整頓されていなければ気分が悪いらしく、さらにその無意味な潔癖を他人にも求めてくる。

中にはあからさまにタメ息をついて、他人が完了させた仕事を神経質に整え直す者も珍しくない。

まるで自分以外は細かいことに気づかない鈍感な人間だとでも言うように。


だがもちろんそうではない。

周りの人間は細かいことに気づいていないのではなく、それが重要でないから無視しているのだ。

優先順位を意識し、目的を達成するために重要な部分とそうでない部分を取捨選択しているのである。

鈍感なのはむしろ些細な問題に捉われて全体が見えていない人間だろう。


ルールや常識を絶対視する人間には、このように木を見て森を見ない本末転倒タイプが極めて多い。

逆に頭の柔らかい人間ほど、真面目と不真面目を状況に応じて切り替える。

理想的兵卒は苟くも上官の命令には絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に批判を加えぬことである。即ち理想的兵卒はまず理性を失わなければならぬ。

芥川竜之介「侏儒の言葉」,『決定版 芥川龍之介全集』千歳出版.


真面目な人が報われる世界になってほしくない


「真面目な人が報われる世界になってほしい」

そんなセリフをたびたび目にする。

だが真面目な人の思い通りになった結果が、ほんの少し前に日本を覆い尽くした狂気のディストピアなのではないだろうか?


屋外にもかかわらず、道行く人のほぼ全員がマスクを着用。

思いやりをスローガンにした半ば強制的なワクチン接種。

科学的根拠の乏しい感染対策の数々。

それらに従わない者、異議を唱える者に対する問答無用の糾弾。


真面目な人ほど、この異端審問に勇んで参加した。

真面目な人ほど、異端に対して不寛容で攻撃的だった。

そうかと思えば世論が変わり、"みんな"がマスクを外せば彼らもマスクを外す。

マスク不着用者を睨みつけていた過去などすっかり忘れて。


ルールに盲従する人間ほど恐ろしいものはない。

それがどんなに醜悪なルールだったとしても、彼らはルールに従っている限り罪の意識がまったくないのだから。

ユダヤ人大量殺害に関与したアイヒマンも、(ハンナ・アレントによれば)極悪非道な人物ではなく、ルールに従順で生真面目な小役人だったという。

真面目な人ほど責任感があるとよく言われるが、とんだ嘘っぱちだ。

自分の昇進にはおそろしく熱心だったということのほかに彼には何らの動機もなかったのだ。(中略)俗な表現をするなら、彼は自分のしていることがどういうことか全然わかっていなかった。

ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン』大久保和郎訳,みすず書房.

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