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なかなか治らない厄介な病気

子供の頃からずっと厄介な病気に悩まされている。

"本音言いたい病"である。

もちろんこれは正式な病名ではなく、僕がいまテキトーにつくった病名だ。


この病気の厄介なところは、黙っていたほうが得をする場面でも本音を言いたくなってしまうところである。

強迫性障害の罹患者がその不合理性を自覚していても同じ行動を繰り返してしまうように、損することが分かっていても本音を言ってしまうのだ。


なぜ嘘は不快なのか


僕は「嘘」を蛇蝎のごとく嫌う。

嘘をつかれるのも嫌いだが、嘘をつくことにも強い抵抗がある。


「嘘も方便」という法華経由来の言葉もあるように、現実には嘘をついたほうが自分や周りの得になる(ように思える)場面がよくある。

だが僕はいかなる状況でも嘘をつきたくない。

往々にして「得する嘘」よりも「損する本音」を選ぶ。


なぜ嘘をそこまで嫌うのだろう?

後に困るからだろうか。

バレるのが怖いからだろうか。

オオカミ少年になるからだろうか。

どれも違う。


多くの者が本能的にヘビを嫌うのと同じように、理屈ではなくカラダが嘘を拒絶するのである。

黒板を爪でひっかく音のように、理由はわからないが不愉快なのである。

損得や合理性とは関係なく、ただ端的に嘘が嫌いなのだ。


営業トークに傷つく


僕は嘘をつくのと同じくらい、嘘をつかれるのも嫌である。

とりわけ営業トークに含まれる嘘には傷つけられることが多い。

いったいなぜだろうか?


おそらく、自分が"手段"にされているのが分かるからだろう。

営業トークをする者には「営業成績を上げる」という目的がある。

客である僕はその手段として存在するのだ。


興味などないのに趣味を尋ね、

ビジネス本に書いてある"相手が喜ぶあいづち"を打ち、

心にもない褒め言葉を連発する。

いずれも営業成績を上げるためだ。


彼らは僕と話しているのではない。

ただセールス・マニュアルを実践しているだけだ。

目の前で対面していながら、僕は無視されているのである。


相手が"優秀"であればあるほど僕の心は傷つく。

テクニックが見えてしまうからだ。

女性と話しているときにおっぱいをチラ見したらバレるとよく言われるが、彼らが僕ではなく僕の財布を見ていることもバレているのだ。



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