「自称おじさん」という哀れな生き物
先日のことだ。
初対面の3歳の子供に「おじさん」と言われた。ショックだった。
確かに寝起きで髪はぼさぼさ、くたびれたスウェットに眼鏡に無精ひげという出で立ちだった。客観的に見れば20歳近く年上の僕は「おじさん」であったことは間違いない。
それでも3才児に挨拶した後、自室の外から聞こえてきた「おかあさ~ん、あの部屋、おじさん入ってる~~」という社会性フィルターを介していない幼声は、僕の胸に深く突き刺さった。
思い返せば、僕は今まで「おじさん」を自称してきた。拙文「下戸のブルース」でも開始2行目で「オジサン」と自称している。華麗なスタートダッシュおじさんだ。
ならば何故こんなにも3才児の発した「おじさん」が胸をえぐったのか。
理由は簡単、僕が「自称おじさん」だったからだ。
今回はこの「自称おじさん」という哀れな生き物について解説したい。
ある程度の年齢に達した男性は突如「おじさん」を自称し始める。現象としてはせいぜい2,3年だけ年長の者が、新入生や後輩に向かってニヤニヤしながら「俺もうおじさんだからさぁ~~」と言ってるあれだ。皆さまも一度は遭遇したことがあるだろう。
そして、その始まりの時期は人によってまちまちではあるが、おおむね彼らは世間一般観念のおじさん年齢には達していない場合が多い。
個人的な感覚だとこの自称おじさん始期は大学3年生周辺であることが多い印象を受けるが、そもそも成人ホヤホヤのハタチやそこらがザ・おじさんだとしたら、その10年20年30年後はどうなってしまうのか。おじさん道を舐めないで頂きたい。
男という生き物は、「おじいさん」にクラスアップするまで「おじさん」なのだ。国民年金が免除されるような身分でおじさんを自称するなど僭越にもほどがある。
もっとも、そのようなことは自称おじさんたちも百も承知だ。自分がおじさんの入り口に差し掛かりながらも、決しておじさん盛りでないことを認識しながら、自称してしまう。
これは大変興味深い心理現象だ。誰に「お前はおじさんだ!」と糾弾されたわけでもないのに、自分から「おじさん」と主張してしまうのだ。
では、何故ある程度の年齢に達した男性は、あえて自身を卑下してしまうのか?
その裏には意識的であれ無意識的であれ、自身が確実におじさん化してゆくことに対する恐怖と抵抗、それに際して発生する「俺はまだおじさんじゃないんだぞ!!」という心理が存在する。
人は加齢とともにおじさん化してゆく。無自覚に、ゆっくりと、確実に。それは間違いなく、避けようがない。
そしてほんの2,3年だけ年少の者が浮べる、瑞々しい感性から生まれた若々しい笑顔を見た時、否応なしにその現実を突きつけられる。
そして思う。
「俺はまだ」「俺はまだおじさんじゃない」
「おじさんじゃないんだ!」
「本当なんだ!!」
やがて彼らは、
「目の前の彼は」「彼女は」
「俺のことをおじさんだと思っているのだろうか」
「俺はおじさん扱いされてしまうのだろうか」
と疑心暗鬼に陥る。
そして、
「俺は俺のことをおじさんだと思ってるんじゃないのか」
「ほかならぬ俺が自分のことをおじさんだと思っているのじゃないのか」
と自分すらをも信じられなくなってゆく。
「違う、俺はおじさんじゃない」
「まだ体も動くし、徹夜だって平気だ」
「確かにさいきん歯磨きでえずくけど」
「俺はおじさんじゃないんだ……」
そして恐怖に恐れおののく。若々しい彼/彼女に「おじさん」と言われてしまうことを。
そして、自らを謙遜の意味を込めておじさん呼ばわりすることによって、それを回避しようとするのだ。
ここで重要なのは「おじさん」が謙遜であるということだ。つまり、自発的に「いやぁ~~~、俺もうおじさんだわ~~」と嘯くことによって、
「俺は自分のことをおじさんだと言っているけれど、これは謙遜ですよ」
という言外のアピールをし、逆説的に「己はおじさんではない」ということを主張しているのだ。
つまるところ、優秀な者が他人に褒められた時に「いいえ、大したことありませんよ……」というのと同じ仕組みだと言える。
本当に大したことない実績しか無い人間は「大したことありません」なんて言わない。言う必要がない。実際僕は一度も言ったことがない。言える局面に遭遇したことがない。
「大したことありません」という言葉は、その人が大した人物であるという評価を受けているということを、逆説的に証明してしまうのだ。
自称おじさんはこの論理を利用しようとしている。己からおじさんを自称することによって、相手から不意打ちでおじさんという単語が飛び出すことを防ぎ、同時に
「俺は自分のことおじさん呼ばわりするくらいの余裕ありますよ」
「謙遜で自称してますよ」
⇒「つまり、俺はまだおじさんじゃありませんよ」
と主張しているのだ。意識的、無意識的に関わらず。哀れだね。自分のことだけど。
こんなにもみじめったらしい生き物なのだ、自称おじさんは。
だからこそ、自称おじさんに「そうっすよね!先輩もうおじさんっすよね!」なんて決して言ってはいけない。傷つくから。プレパラート上のカバーガラスばりに自称おじさんは硝子の心なのだ。いじめないで……。
この「自称」システムは社会のそこかしこに見ることが出来る。「自称メンヘラ」もその一種だ。
自称メンヘラは自分が世間一般よりも偏狭で脆い精神を抱えていることを自覚しながらも、その中で必死に真人間のフリをして生きている。
その過程で絞り出した居場所が「自称メンヘラ」だ。ちょっぴり周りより脆弱だけど、他称メンヘラではないという微妙な見栄、そんなアジールが自称メンヘラなのだ。そのため他人にメンヘラ呼ばわりされると普通に凹む。
また、「オッサン系女子」も自称ファミリーの一員であると考えてよい。
己の怠惰さを性別すら違う少し離れた場所にあるオッサンという枠に閉じ込めて、一つのライフスタイルとして扱うことで言い訳をつけている。
だから決して「お前まじオッサンじゃんwww」とか言ってはいけない。
もっと言えば「てか女だしオバサンじゃん」なんて言ってはいけない。言ってはいけないのだ。
そういえば最近、洗面台でえずく声が急速におじさん化している。その声を聴くたびにやはり一人でごちてしまう。
「俺もう、おじさんだからさぁ……」
・・・・・・。
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