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03病気が怖いときは助けを求める

先に病気は怖くないと書きましたが、「病気のまっただ中にいるとき」には、怖くないという説明ではとうてい納得できないし、いま目の前にある辛さをどうにかしてほしいと思うものです。

目の前にある辛さがどのようなものかを見ていくと、まず、私たちはショックな出来事に遭遇したときには、「衝撃」を受けて混乱し、状況をすぐには理解できません。そして、その状況が受け入れ難いことだとわかると、「そんなことがあるはずない」などと「否定」したり、周囲に当たり散らしたりする人もいます。次に、現実に直面し、「やっぱりだめか」などと落ち込む「抑うつ状態」になります。このような過程を経て、私たちはショックな出来事を徐々に受け入れていくのです。

病気が怖いときの辛さというのは、上記の段階では「抑うつ状態」のときの辛さだと思います。

それでも、風邪や軽い骨折などであれば、そのときはつらくても、時間が経てば自然と日常生活に戻れます。しかし、私たちが最も恐怖を感じるのは、治る時期が予想できる病気ではなく、長期の治療が必要な、先行きが不透明な病気なのです。

たとえば糖尿病は、ひとたび患ってしまうと一生付き合わなければいけない病気の一つです。多くの場合、無症状かごく軽い症状で経過していきます。しかし、放置したときのリスクは「し:神経障害、め:眼(網膜症)、じ:腎臓(腎症)」「え:壊疽、の:脳梗塞、き:狭心症、心筋梗塞」といって、目が見えなくなったり、足が腐ったり、脳血管が詰まって手足が動かなくなったりと、聞くだけで怖くなってしまうような合併症がたくさんあります。

実を言うと病気というのは、予防の段階では医学的な知識がそれほどいりません。そして、予防行動はいろいろなことに役立ちます。たとえば「週2回30分以上の軽く息のあがる運動をしましょう」というのは医学的な知識がなくてもできます。そして、運動は生活習慣病の予防になるだけでなく、体力がつくことで活動的になったり、運動そのものが楽しみとなったりします。また、うつ病の予防にも効果があるという意見もあります。

ところが、いったん病気になって治療が始まると、治療に臨むだけで実に多くの知識が必要になります。飲み薬ひとつとってみても「毎食前にこの薬を飲んでください」と言われたとしたら、ご飯を抜くときはどうしたらいいか、飲み忘れたときはどうしたらいいのか、そもそもこれは病気を治すためのものなのか、それとも症状を抑えてくれるのか、飲まないとどうなるのかなど、飲み薬についてだけでもいろいろなことを知らなければなりません。

一つの病気だけならまだしも、高齢になって、病気が増えて薬も増えるかもしれません。いくつもの病院に通うこともあるでしょう。場合によっては運動や食事制限、血圧測定など、やらなくてはならないことも増えます。そのような事態に的確に対応することは、若い人でも難しいと思います。

東京都健康長寿医療センターの2019年の調査によると、東京都に住む後期高齢者(75歳以上)のうち約8割の人が2つ以上、約6割の人が3つ以上の慢性疾患をもっているそうです。そして総務省統計局の調査によると、全国では2019年の時点で後期高齢者は1848万人います。少し乱暴な計算かもしれませんが、これらの調査から、日本では約1000万人もの後期高齢者が3つ以上の慢性疾患を抱えていると考えても、それほど大きく間違っていはいないでしょう。

では、こういった長期の治療が必要な、先行きが不透明な病気とはどのような姿勢でつきあっていけばいいのでしょうか。

私がもっともおすすめする方法は、医療者や家族と話し合いながらみんなで病気とつきあっていくことです。「いままで何でも自分でやってきた」「家族に迷惑をかけるわけにはいかない」と思うかもしれません。でも、そういう人こそぜひ、このやり方を実践してほしいのです。

みんなで病気とつきあっていくというのは「自分は病気なんだから、誰かが代わりに家事をするべきだ」とか「私は親なんだ。子どものあなたは私の面倒をみなさい」とか「私はまな板の上の鯉だ。先生にすべてお任せします」ということではけっしてありません。

自分の病状だけでなくそれぞれの状況に合わせて、穏やかに相談して互いに協力しながら生活をしていくことです。 その際には、自分や他の人のできることやできないこと、得意なことや苦手なことなどを率直に話し合って下さい。

そうすれば、病気を抱えていても不安なく日常生活を送ることができるし、万が一新たな病気にかかったとしても、ひとりで戦うのではないという大きな安心感が得られます。

家族や医療者との関係がうまくいっていない人も心配はいりません。まず、うまくいっていないと感じることができたことが大きな第一歩なのです。せっかくのその気づきを放置せずに、ぜひ向き合って欲しいと思います。

高齢であっても、余命宣告をされていても決して遅くはありません。あるいは、今まで家族に悪いことをしてきたと思っている人もいるでしょう。それならばなおさら家族と向き合って下さい。家族ならば、医療者ならば、心のどこかできっと待ち続けてくれています。そして、自分は悪くないと思っている人もいると思います。きっとあなたは悪くないのだと思います。どこかで齟齬が生じているだけだと思います。もしそうならば、それを解消してみませんか。

始めるのは簡単です。「心の底からの感謝を述べる」それだけです。プライドを捨てる必要もお金を支払う必要もありません。うまい言い方も空気を読むことも必要ありません。

最初はぎこちなく一方的に感謝を伝えるだけかもしれませんが、いずれ相手からも感謝の言葉をもらえるようになることもあるでしょう。そして、たとえ感謝の言葉をもらえないとしても、こちらの気持ちは随分と変わるものです。

確かに初めは相手のマイナス面ばかりが見えていると思います。ところが、感謝の言葉を重ねることで相手の良い面が徐々に見えてきて、次第に相手のマイナス面は気にならなくなってくるのです。先に述べたIさんの例を思い出してください。それと似ていて、マイナス面はなくならないとしても、気にならなくなり、プラス面が見えてくるという感じです。

これは、早く始めれば早く始める方がお得です。マイナス面が目立つ人と一緒に過ごすより、良い面が目立つ人と一緒に過ごしたいと誰もが思うでしょう。

中には家族がいない場合や、疎遠な場合もあると思います。その場合は医療者や身近な人なら誰でも構いませんのでやってみてください。

こうして周囲の人との関係がうまく回り始めたなら、すでに病気の怖さは半減しているはずです。怖いと感じたときには、他の人の考え方を聞いてみたり、互いに協力をしてみたりしてください。それでも解決しないときは、医療者にも相談してみて下さい。心配は必要ないということを説明してくれて、徐々に病気を受け入れていくことができるでしょう。

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