見出し画像

もの想いに耽ける昼下がりのこと

今から75年前の夏のある日
あの日の空は蒼かった。

その日わたし達は、ラジオから流れる終戦の報せを食い入るように聴いていた。

天皇陛下のお言葉は、わたし達の心へと真っ直ぐに届いてきた。

しかしそれは今までお国を支えるためにしてきたことや、全てを受け入れて息を潜めるように生活したことへの終わりを告げるものでもあった。

それと同時にまだ見ぬ新しい民主化という世界が始まり、わたし達が主役になる今までの天皇制とは違う時代への幕開けでもあった。

当時まだ小さな子どもだったわたしは、
その時は何を言っているか分からなかったが、歳をとった今ならそれがどういうことかよく解る。

そんなことを考えていると

「…さん、源治さん」
そう呼ばれる声がして、はっと意識が戻ってきた。いけない、珈琲を飲みながらまた昔のことに浸ってしまった。
ここの店の珈琲は旨い。
何の種類の豆かは分からないが、コクのある奥深い味だ。
そのせいかどこか昭和の時代を彷彿とさせる。
だからなのかここに来ると、いつも記憶が昔へと戻ってしまうのだ。
少しくすんだ木目調の店内はいつ来ても落ち着いた。
「源治さん、今日はまた雨が降りそうですね」
外を覗くと今にも雨粒が落ちてきそうな曇天が広がっていた。
すると間もなくポツリポツリ…と雨が降ってきた。
「あ、やっぱり降ってきた。
テラスを少し片付けてきます」

そうして店主の伊吹くんは外へと飛び出していった。
思えばこの年まであっという間だった。

今まで敵だと言われていたアメリカが、味方になってしまったあの時、グチャグチャになった自分の感情が渦巻いていた。
昨日までダメと言われていたことが、今日からは良いという意味に変わる。

その事に強い憤りを感じながら青春時代を送った。
そして大人になり結婚して、子どもが出来ガムシャラに働いた。

ちょうど高度成長期と重なる時代だったこともあり、子ども達のために身を粉にして働いた。
職場で出逢った妻は、毎日忙しくほとんど家事を手伝ってやれなくても文句一つ溢さなかった。

思えば激動の時代をこうして生きてきたのだ。

外は雨がポツポツ降っている。
わたしはそうしてガムシャラに働き、3人の子ども達が巣立った。
ほとんど何もしてやれなかった妻。
せめて老後くらいは…と彼女の好きな田舎暮らしを決めてこの大原で過ごしているのだ。

子ども達を立派に育ててくれた妻には、
本当に感謝しかなく頭が上がらない。
彼女がいたから、いままで頑張ってこれたのだ。

ポツリポツリと降っていた雨はやがて、ザーッと降り出す大降りの雨へと変わった。

今日はやけに雨が強いなと思った。

「あぁ、大変だった」そうやって慌てて伊吹くんが店の中へと入ってきた。

そのときカランコロンとベルが鳴り、
1人の可愛らしいお嬢さんが入ってきた。
雨で濡れたのか前髪から水滴が落ちている。
お嬢さんと会うのはこれで2回目だ。

わたしは平日の昼間に来るお嬢さんのことが、前から少し気になっていたけれど
もしかしたら何かワケがあるのかもしれない。

いつものカウンター後ろの奥の席に座り、年季の入ったメニューを暫くジッとみつめていた。

暫くして伊吹くんとやり取りをしていたようだが、「あの…ホットケーキと温かい紅茶をください…ストレートで」と注文を頼んでいた。

雨はやがて本降りからドシャ降りへと変わっていった。
「やけに雨が降るなぁ」窓越しから覗く景色があまりにもドシャ降りだったので思わず口にしてしまった。

そのとき外の様子を眺めていたその人は突然立ち上がり「もう、あの子ったら…!ごめんなさいっ、直ぐに戻りますから、ホットケーキ焼いておいてください!」

その子は勢いよく飛び出して行ったかと思うとみるみるうちに龍へとなって空へ登っていった。

あぁ、あの子は龍神だったのか…

妙に気になっていたことがようやく腑に落ちた。お嬢さんからは、どこか人間離れした霊気のようなものを感じていたからだ。

空はやがて晴れ間へと変わり、また穏やかな時間が戻ってきた。

その子が戻ってきたころ、もうすっかりホットケーキは冷めているようだったけど、お嬢さんは美味しそうに頬張っていた。

妻はこの田舎にやってきたとき
「まぁ、ここは本当に色々なものが整っていますね!」と言った。
そのときは何の意味か分からなかったけれど、
今はそれが森と自然、そして人間との調和だということが何となくわかる。

森のけぶる緑と苔むした河川が、この大地に根付いている。

この森との出逢いがわたし達を支えているのだ。

さてもう少ししたら帰ろうか
夕飯の支度をしながら、わたしの帰りを待っている妻の元へ…

そしてこっそりと今日の出来事を語ろう。

きっと、彼女は喜んでくれる。
いつもみたいなとびきりの笑顔で。



この度はお立ち寄り下さり、ありがとうございます。ニュイの考えに共感いただけたら、サポートして下さると喜びます!!サポートいただいた分は、今後の執筆活動のための勉強資金として大切に使わせていただきます。