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想いだした帰り道

「おい、しっかり歩けよ」
久しぶりの高校の同窓会で、
すっかり酔ってしまった松橋を肩で支えながら、タクシーから降りて家の近くまで付き添う。

空には煌々と欠けた月が輝いていた。

「まぁまぁこの子ったら」
その様子をみた松橋のお母さんと思しき人が、酒屋のシャッターを開けて迎えに出てくれた。
松橋の実家は酒屋なのか…それで、酒がなるほど好きなんだなと思った。
「この子失礼なことしてませんでしたか?」
そう聞かれた僕は
「大丈夫ですよ、それじゃ僕はここで」
と松橋のお母さんが何か言いかける前に、
松橋の家を後にした。

少しフワフワする感覚を味わいながら、僕はもときた道を歩いた。歩きながら「久しぶりの同窓会、自分も少し飲み過ぎたかな…」ひとり呟き酔って火照った身体を覚ましながら、帰り道をゆっくり歩いた。

空を見上げると煌々と輝く月が出ていた。

こんな月の綺麗な夜には思わず歌い出したくなる。人気のない夜道を鼻歌を歌いながら、僕は歩いた。
所々で点灯している街灯がパチパチとなり、
夜の静けさに馴染んで消えていった。
ポツリぽつりと家の灯りが消え、今日も1日が終わるのだと思った。

子どもの頃から歌うのが好きだった僕は、同級生に変な声と言われるまで歌い続けた。
いや、変な声と言われても歌いたかった。

だけどとあることをきっかけに、中学の頃までは人前に出ると緊張してうまく話せなかった。しゃがれた様な掠れたその声が思春期の僕には、ものすごいコンプレックスだった。
なのにそんな僕に松橋は高校で同じクラスになった途端に「高田ー、お前いい声してんなぁ」と言ってきた。

「は?!」と思わず聞き返すくらいにはビックリした。
なぜならそれまで褒められたことなどなかったからだ。
そうだ…路上ライブで褒められる前に僕は松橋から、褒められていた。そのことを鮮明に思い出しながらもどうして彼女は、そんなことを言ったのか未だに分からなかった。そもそも、なぜそんなにも僕を気かけてくれていたのか分からなかった。

移動教室のときも、文化祭などのイベントのときもいつだって、松橋は僕を隅の方から引っ張りあげるみたいに僕のことを気にかけてくれた。片手を勢いよく挙げ
「はいはーい、わたし松橋と、高田で実行委員やります」と勝手に委員会を決められたこともある。最初はいやで仕方なかった実行委員も、誰かと話さざるおえなくなれば楽しいものだった。

10年以上経ったいまでは、あの当時の思い出は優しい光を放っている。
どこまでも温かな月の光が道の先を照らしていた。




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