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春の手帳の話


夕方のニュースの取材をうけた。



2月下旬の某日、時々工作しに行っているDIY作業スペースのお兄さんから電話があった。
「(地元のテレビ局の)アナウンサーさんがnyororoさんに会いたがっているのだけれど、連絡先教えていいですかね?」

えっ!
どゆこと!?


どうやら手帳の話を聞きたいらしい。


 数時間後、岩手放送(IBC)の浅見智アナウンサーからご連絡があった。実は、自分の手帳オタク度がピークだった頃、地元のタウン誌(マ・シェリ)に手帳特集で取り上げてもらったことがあった。浅見アナはこのときマシェリの特集を見て「いつかnyororoという人に会ってみたい」と思ってくださっていたのだそうな…(でも2015年って9年前じゃない!よく覚えてましたね…驚き)

 今まで書いていた手帳を見せてもらって、ちょっと話が聞ければいいってことだったので、軽率に引き受けたのだけど思っていたよりも尺が長くてびっくりした。ちなみに私は達人でもなんでもなくて、単なる記録オタクであることを強調しておきたい。



今日はnoteの方で、少し補足をしておく。

 今の使い方は以下の通り。

【定点観測として使う】
手帳については肝になるのは「定点観測」だと思う。
その観測を淡々と行い、日々の変化と地味に向き合う感じ。
でもそれを続けてみて実感するのは「ちょっとの違い」っていうのは数十年単位ではものすごい変化になるということだ。

睡眠、体調、気分、金銭の動き、制作の進捗などを観測しているけれど、これは結構変化があって面白い。


【問題解決ツールとして使う】
 何か解決したい時には手帳を使う。
 手帳を使えば、大抵の問題は大体解決できる。いつ、どこで、何をやって、どのくらいの頻度で続けるか、または続けないか。
誰と、いつ会って、何を話、どう提案するか、どうやれば最善の選択ができるか、そんなことを考えながらひとり戦略会議をする。

これがめちゃくちゃスッキリする。そして大抵うまく行く(気がする)。仮に大失敗したとしても対策が立てられて、失敗も活かせる。

これをやるとびっくりするくらい問題解決的思考になる。(おすすめ)


【続けられることをやる】

そうそう、これだけは言いたい。
番組の方では、絵日記メインだった頃のほぼ日手帳を扱ってもらったのだけれど、「絵日記」は“映える”かもしれないけれど、目標達成とか問題解決みたいな話となると効果はほぼない。
絵日記は単なるログに過ぎない。

 手帳を使う意味はあくまでも「生活のしやすさ」が主体となる。
これは過去に色々書いてみて言えることだけれど、手帳を綺麗に「盛ること」が目的になるのは良くない。細かく記録したからといいものでもない。


記録は自分自身がわかればいいのだ。

 綺麗に書いたからといって急に賢くなったり能力が上がったりしない。
英語をやりたいなら英語を勉強した方がいいし、資格取得の勉強をしたいならそれに時間を割くべきだし、特別に手帳に絵を描きたいという人は別として、絵日記の記入に時間をかけすぎるのはほとんど意味がない。本当に絵が上手くなりたいならクロッキー帳やスケッチブックを使った方がいいし、個展や公募にチャレンジしてたくさんの人にみてもらう方がいいと思う。(今は手帳を絵日記として使う場合には割り切りが必要だと感じる)


もちろん、楽しみとして絵やイラストを描いたりするのはいいだろう。しかしいずれ、「無理せずに記録を続けられること」を重視したい。
 手帳の書き過ぎによる時間不足を感じるくらいなら少し休んでのんびりした方がいいのではないかと思う。

手帳はいいぞ!


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