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じんせいのよろこび


奥さんが妊娠を告げ、それに対し泣いて喜ぶ旦那さんの動画を目にした。


子ども好きな彼に、結婚前に何度も「わたしは産みません」と伝えて、それでもよいと言ってくれたことが、入籍した理由のひとつだった。

でも、動画を観て思う。
「わたしはこの先の人生、子をもうける以外で、泣くほどの喜びを夫に与えることはできるんだろうか。」

きっと夫は子どもができたら非常に良い父親になるだろうに。
彼なりに思い悩んだ結果「それでもよい」と言ってくれたのだからもう気にしなくても良いのだと思いつつ、時々、罪悪感や後ろめたさ、申し訳なさが襲ってくる。

父親にしてあげたかった。
でも、わたしは産みたくない。
わたし以外と結婚している夫も見たくない。
ふたりでいて幸せだと思ってほしい。

何度考えてもその結論に至ってしまうし、きっと夫も幸せだと思ってくれているのだろうと日々の中で感じるのだけど、それでもなんとなくまだ自分の中でもやもやしていたり。

良いと言われていることに対して申し訳なさを感じつづけるよりも、夫が泣いちゃうくらいの喜びってなんだろう、と考えるほうが人生有意義なのかもしれない。「ふたりでよかった」と最期に言ってもらえるような生活を積み重ねるために、このモヤモヤを自分の中で消化していきたい。


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