「銃・病原菌・鉄」の感想

「銃・病原菌・鉄」を読んだ。
結論、上巻の内容はかなり刺激的で面白かったが、後半は途中でダレてしまった。

上巻の内容は、ヨーロッパなど発展している国を「持てる者」、アフリカなど発展途上国を「持たざる者」とし、なぜ持てる者と持たざる者が存在してしまうのかということを歴史から紐解いていった。
紐解いていったといっても、いわゆる世界史で学ぶ直接的原因(コロンブスがアメリカ大陸を発見し~のようなこと」のさらに奥の、「なぜそのような出来事が起こったのか」というところを一番最後まで深堀していった。

下巻では上巻で深堀した内容の妥当性を実例から検証していった話である。

上巻は知識として「へ~そうなんだ!」と思わせられる内容が多く刺激的だったが、後半は上巻で得た知識をただなぞるだけで退屈だった。
(本当は上巻の内容を鵜呑みにするだけでなく自分で検証したりしながら読んだ方が良いのかもしれないが、そのような時間や体力がなかったのでできなかった。)

ここから、印象に残った文章を引用しながらコメントさせていただく。

欧米の歴史家が人類史について本を著すときは、ヨーロッパの歴史と、ヨーロッパからの移住者によって建国されたアメリカ合衆国の歴史に焦点を当てるのが一般的である。
ジャレド ダイアモンド. 銃・病原菌・鉄 上巻 (p.3). 株式会社草思社. Kindle 版.

ちょっと考えればわかることなのだが、歴史書は歴史書を記した人の目線でしか書かれない。日常生活でもそうだが、客観的に見えている事実がそれは360度どこから見ても事実なのかという意識は大事であると感じた。

あなたがた白人は、たくさんのものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜだろうか?」。
ジャレド ダイアモンド. 銃・病原菌・鉄 上巻 (p.18). 株式会社草思社. Kindle 版.

この物語の背骨の一文。
自分は考えたこともなかったので、はっとさせられた。

─「歴史は、異なる人びとによって異なる経路をたどったが、それは、人びとのおかれた環境の差異によるものであって、人びとの生物学的な差異によるものではない」
ジャレド ダイアモンド. 銃・病原菌・鉄 上巻 (p.37). 株式会社草思社. Kindle 版.

詳細は割愛するが、先進的社会である白人と未だに貧しい黒人、知能の差は存在しない。
文化を除けば本当に肌の色しか違わないのだ。自分は様々な分野でどちらかといえばレイシストよりの思考の持ち主だが、いわゆる人種差別というのは違うんだなと思わされた。

農耕によって食料生産と余剰食料の蓄積が可能になり、余剰食料の蓄積が非生産者階級の専門職を養うゆとりを社会に生みだし、技術の発達を可能にしたのである。
ジャレド ダイアモンド. 銃・病原菌・鉄 上巻 (p.44). 株式会社草思社. Kindle 版.

技術発展をするには、発展させる人がいないといけない。つまり、いわゆる食うための仕事をしているだけではクリエイティビティは生まれないという話である。
これは実生活でも適用できる考え方であると思っていて、庶務や提携作業に忙殺されていてはそれ以上のことはできない。何か別のことをするためには何か別のことをする時間を確保しないといけないというのを当たり前ながら再確認することができた。

数のうえで二対一とまさっていたモリオリ族は、抵抗すれば勝てたかもしれない。しかし彼らは、もめごとはおだやかな方法で解決するという伝統にのっとって会合を開き、抵抗しないことに決め、友好関係と資源の分かち合いを基本とする和平案をマオリ族に対して申し出ることにした。  しかしマオリ族は、モリオリ族がその申し出を伝える前に、大挙して彼らを襲い、数日のうちに数百人を殺し、その多くを食べてしまった。
ジャレド ダイアモンド. 銃・病原菌・鉄 上巻 (p.80). 株式会社草思社. Kindle 版.

物語の本筋とは関係ないが、結局「力」なんだなと思った。
いくら奇麗事を並べていても、力には叶わない。
何かを守るのであれば、何かを成し遂げるためには、力をつけないといけない。日々の体の鍛錬を怠らないようにしようと改めて思った。

このように、ポリネシアは経済や社会、そして政治において非常に多様である。この多様性は、それらの島々の総人口や人口密度が島によって異なっていることに関係している。それらの島々の人口面での差異は、広さや地形、そして他の島々からの隔絶度が島によって異なるためである。そしてこれらの差異は、島民の生活形態のちがいや食料の集約生産の方法のちがいに関係している。
ジャレド ダイアモンド. 銃・病原菌・鉄 上巻 (p.100). 株式会社草思社. Kindle 版.

地形で生活形態や食料、集約生産の方法が変わるというのは当たり前ながら考えもしなかった。緯度による気候の変化だけでなく、傾斜や川の有無などでも変わるというのは一つ勉強になった。

食料生産を独自にはじめた地域は世界にほんの数カ所しかない。それらの地域においても、同じ時代に食料生産がはじまったわけではない。食料生産は、それを独自に開始した地域を中核として、そこから近隣の狩猟採集民のあいだに広まっていった。その過程で、中核となる地域からやってきた農耕民に近隣の狩猟採集民が侵略され、一掃されてしまうこともあった。この過程もまた多くの時代にわたって起こったことである。最後に、環境的には非常に適しているのに、先史時代に農耕を発展させたり実践したりすることがなかった地域が世界には複数存在する。そうした地域の住民は、近世になるまで狩猟採集生活を営んでいた。つまり食料生産を他の地域に先んじてはじめた人びとは、他の地域の人たちより一歩先に銃器や鉄鋼製造の技術を発達させ、各種疫病に対する免疫を発達させる
ジャレド ダイアモンド. 銃・病原菌・鉄 上巻 (p.158). 株式会社草思社. Kindle 版.

この本の本筋である。
正直このレベルの話は運ゲーでしかないんだなと思った。(正確にはさらに深堀していけば運ではないのだが。)
病原菌は想像できない。最近でもコロナのパンデミックがあったが、だれが想像できただろうか。

この地域で食料生産が歴史上非常に早い時期にはじまったのは、そこの住民がよその住民よりとくに優れていた点が何かあったからである、といった議論を展開する必要がなかった。
ジャレド ダイアモンド. 銃・病原菌・鉄 上巻 (p.228). 株式会社草思社. Kindle 版.

ここもこの本の本筋である。
土地による運ゲーはもうしょうがない。。。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?