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コンフォート・ゾーンに居座る意思をもつ。

不安を抱きやすい私は、
コンフォート・ゾーンから抜け出すときにとても不安を感じる。

あまり不安を感じない人は、どんどんコンフォート・ゾーンから飛び出して、
人生において様々な経験を増やしていくことが良いと思う。

ただ、私は特に緊張がひどく、
コンフォート・ゾーンから抜け出そうとなると、
他のことが全く手につかなくなったり、常に体中から汗がでてきたりする。
動悸や腹痛、頭痛もあったりと、薬が必要になってしまうこともある。

このような身体が出すヘルプをこれまでは見て見ぬふりをして、
コンフォート・ゾーンから抜け出し、あれこれかまわずにトライしていた。
しかし、結果的に心身共に体調を崩すという結果になった。

これからは、不安を感じやすい私の身体のヘルプをしっかりくみ取ってあげたいし、
心身の安全と心地よさを一番大事にするという意思をもって生きたいと思う。
自分軸の一つに、自分の心身の安全と心地よさを加えたい。
これは、自分を大切にするという行為でもあると思う。

ただ、人生で心身の安全と心地よさだけにフォーカスしていたら、
成長も得ることができないとも思う。
成長とは何だろうか。
コンフォート・ゾーンから出るときにだけ成長が得られるのだろうか。
今のところ私には分からないが、

コンフォート・ゾーンとの付き合い方を考え、
コンフォート・ゾーンを抜けるかどうかの、
自分にとってのいい塩梅を探し出す必要があるのだと思う。
闇雲にコンフォート・ゾーンを飛び出しまくることはしたくない。

コンフォート・ゾーンを抜けたときに得られるものが
私にとってどうしても欲しいときには、
コンフォート・ゾーンを抜けるべきだと思う。
だた、コンフォート・ゾーンの先にあるものが、
他人軸を生きながらの欲しいものになっていたり、
社会的になんとなくやるべきだというような、そこに自分の意思はなく曖昧なものだった場合、
私は心身の安全と心地よさを重視して、断固たる意志でコンフォート・ゾーンに居座りたいと思う。

それぞれ得意不得意があるように、
コンフォート・ゾーンの範囲も人それぞれだ。

心身の安全と、日々の心地よさを守るためにも、
ここぞ!というときに頑張れる自分を作るためにも、
私は何が欲しいのか、何をやりたいのかを分かろうと努めたり、
自分との対話を大切にしたい。

無意識に生きていいたらなかなか自分の気持ちにさえ気づけない。
もちろん、直感や本能という味方もいるが、
他人軸になると直感や本能さえ鈍くなる。

意識的な自分との対話が必要である。
自分との対話はやはり「書くこと」によってもたらされるものだと再認識する。

日々考えたこと、気づいたこと、感じたことをつらつらと綴っていきたい。


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