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ちょっとしたことで悪い気分は良い気分に変えられる(私の場合)

 悪い気分、転じて、良い気分になる。
 その目まぐるしさたるや、自分でも呆れるほどである。

 こういう本がある。
 コンパクト版でありながら、うつ病という気力ゼロ状態の人にこれを読めと? という厚みの、読まれることを拒んでいるとしか思えない本なのだが、ここに紹介されている方法は、確かに効果があると思う。

 全体を通して、著者は活動することを促している。掃除する、とかそういう些細なことからで良い。気分が良くなるのを待っていても、気分は良くならない。

 今まさに、それを実感している。

 昨日、私は最悪の気分だった。子の世話と家事をしながら、頭の中は、子が学校で何かやらかしてこないか、そしてまた親の私が誰かに責められるんじゃないか、と、そればかり考えてしまう。
 下の子がプレ保育の日だったのだが、そんな状態だったので、支度をしていて目を離している間に、下の子はハサミで遊んでいて指の先を切ってしまった。
 止血したのだが、十分以上止まらず、救急相談に電話して病院を紹介してもらい、すぐに連れて行った。幸い傷は軽くて済んだ。
 そんな日だったので、その後も気分が良くなるはずもなく、疲れきってご飯の支度もできず、寝かしつけと同時に精根尽き果てて寝た。

 でも、今はすっかり気分が良くなった。落ち込んでいたのが嘘のように思えてくる。

 今日は、下の子の友だちが遊びに来てくれて、久々に家で一緒に粘土をして遊んだ。
 友だちの子は場所見知り、人見知りのある子で、久々に会った私たちにも慣れるまでに時間がかかった。そういう子なので、上の子が帰ってきたら泣くだろうなーと思っていたら、やっぱり泣いた。
 上の子は、気持ちを言語化するのが苦手で、カウンセラーの先生いわく、過去の嫌な記憶に結びついた出来事に対しても態度を悪くし、ひどいと攻撃的になる。
 おそらく、小さい子が泣いた状況が不快だったのだと思う。友だちの子に開口一番「来てほしくなかった」と言い出して、足を踏み鳴らして威嚇したり、「マイクラやるけど見せてやらない」と言ったり、攻撃的になった。さらに、いつもはなかなかやらない宿題まで自分で出してきて、勉強し始めた。これも、カウンセラーの先生いわく、いつもは一番嫌な宿題以上に嫌なシチュエーションに対し、親の気持ちを和らげるための行動らしい。

 そんな状況で、今日も最悪といえば最悪な状況だった。でも、気分は悪くならず、むしろ良くなっている。
 子にも「小さい子が泣いたからって、誰もあなたのせいだと思ってないよ」と落ち着いて説明できた。
 それは、ひとえに、今日家に来てくれた友人が、あらかじめ上の子に起こったトラブルについて話を聞いてくれ、話をすることで私自身も出来事を客観的に受け止められたからだと思う。

 あまり冷静な文章でもないが、今私を一番悩ませているトラブルについては以下の記事に書いた。

 人から苦情を言われるというのは、実際に体験すると辛いものなのだと分かった。

 しかし、子育ては続いていくし、起こることにいちいちダメージを受けて対処を怠っていては、子は健全に育たない。何より子どもらのために、私は立ち直らなければならない。

のだが……

 つい怖くなって、意識的に外に出ない限り、すぐに人との関わりを避け、引きこもってしまう。すると、気持ちもてきめんに沈んでいき、子にはキレるし、ろくなことが起こらない。

 (子にキレたことは、以下の記事に書いた。自分が大人気もなくこんな風にキレるなんて、誰にも知られたくないが、誰にも同じことを繰り返してほしくないので書いている)

 気分が沈んだ時、”動く”は、効果てきめんだ。特に、人と話すこと、そしてその時、自分に起こったことを出来事と主観に分けて話すことの大事さを、今日実感した。
 自分の弱さをさらけ出すことは、勇気のいることだ。話す相手にしくじると、余計に傷つけられかねない。だから、相手選びには気をつけなければならないけれど、そこだけちょっと気をつければ、人にさらっと話してしまうのは、落ち込んだ気分を変える有効な手段だと思う。

 話は変わるが、今、これを読んでいる。

 著者は、ナチスの強制収容所で生き延び、自分の生き様、人としての在り方に生きる意味を見出した。

 これまた気分が落ち込んでいる人におすすめするものでもないのかもしれないが、これからもいろいろ起こる人生を過ごしていく上で、これ以上に参考になる本もないと思う。

 私は、心が弱い。でも、子どもたち(自分の子どもだけでなく)の置かれている環境に目をそらさず、何かしら行動し、良い環境を作っていきたいと思っている。ちょっと人に責められたくらいで、なるべく他人の子と関わり合いにならず、面倒を避け、子どもたちの環境に無関心になっていては、いわゆるグレーゾーンの子など、まだまだ居場所に困っている子の成長を助けてやれなくなってしまう。それは、長い目で見れば、大げさかもしれないが、人類の存亡に関わると思う。

 自分でも、大風呂敷を広げてしまってどうするんだ、と思い始めたのでこれくらいにしたいが、何かできることはあるはずなので、うまいこと悪い気分を良い気分に変えて生きていきたいと思う。

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