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バブ、砕ける

キレる、というのを、あまりちゃんと理解できてなかった気がする。というか、そういう状態をちゃんと経験したことがなかった。

さっき、死ぬほどくだらないことで、子どもにバブ(入浴剤)を投げつけて、それを子らが泣き叫ぶ前で、袋の中で粉々に砕けるまで何度も床に叩きつけて、最終的にゴミ箱に捨てたのを、連れ合いになだめられて拾ってくるという、文章にするとなんともいえない出来事を経て、キレるをちょっと体験できたような気がしている。

子らが、それぞれ好きな色のバブを風呂に入れたいといって譲らず、平等にくじ引きにしたら、負けた上の子が泣き出し、という、よくある兄弟喧嘩だった。

怒鳴ってバブを投げたところの記憶が、ちゃんとしていない。壊れたハードディスクの映像のように、欠落している。そして、もう数時間経つのに、まだ脳が痺れている。

前は、子らを怒鳴っているときも、どこかに冷静な自分がいたが、今日の"キレる"の奥の方には、いつもいるはずの冷静な自分がいなかった。

たぶん、この数ヶ月、辛いことが多すぎた。普段耐えられることも、疲れた心身には辛いものだと、よく分かった。

そう考えると、人がキレる、その一場面だけで、その人ばかり責められたものでもない。
その直前まで必死に頑張っていたけれど、理性がぶっ飛んだのかもしれない。数時間前の私のように、と自分事として考えてしまう。

てぃ先生の話に救われる。母が、自分のことは置いといて、我慢に我慢を重ねていることを知っている。

疲れた。もう考えられない。寝る。

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