終戦の日に思う

初投稿、何を書こうかと思案するも8月15日、終戦の日という事でいきなり堅い内容について書いてみる。
(うろ覚えが多く出展が無い、あってもウィキペデイアレベルなので鵜呑みにせずにエッセーくらいのつもりで見てほしい)

戦争だ平和だなんだかんだについてはは別の項で述べるとして、ここでは日本における『終戦の日』に思ったことについて書く。

日本では一般的に8月15日が(太平洋戦争の)終戦記念日ということになっているが、これは昭和20年8月14日に日本がポツダム宣言受諾を連合国側に通告、開けた翌日8月15日に昭和天皇から国民にポツダム宣言の受諾を発表、いわゆる玉音放送が流れ日本の降伏が広く国民に知らしめられたのに基づいた終戦の日……なわけだが、実際にはこの8月15日を以て、ハイ戦争終了、ドンパチするのやーめた、みんな仲良くノーサイド、とはなっていない。

沖縄の離島などでは小規模な武力衝突が9月まで続いていたという記録もあるし、占守島の戦い含め樺太~北方領土周辺がゴタゴタしてしまった経緯も当該国同士(日本と米国、日本とソビエト)の「終戦に関する認識のギャップ」にある。

8月14日のポツダム宣言受諾の通告、(国際法や慣習等いろいろあるとは思うが)平たく言えば『口約束状態』であるともいえる。
もちろん8月15日以降各地の戦線で日本軍の武装解除が続々と実行されてはいるから終戦といえば終戦だ。

時は下って9月2日、横須賀沖に停泊する米国戦艦ミズーリ上で降伏文書の調印式が行われる。これを以て『正式契約、契約成立した状態』とも受け取る向きもあるだろう。厳密にはこの調印したタイミング以降が終戦状態だ、といわれればそうかもしれない。

この認識のギャップ、時間のギャップを突かれてソ連にはいろいろ上手いこと持ってかれちゃったな、というイメージはある。

普段の仕事において部下にもよく言う。「言った」と「伝えた」「伝わった」は別物だ、相手に言った言わないの泥仕合に持ち込まれた時点で自分の落ち度に目を向けろ、と。自分自身それが「言った」だけの事もあるし、むしろ「伝わらなかった」事の方が多かったかもしれない。

自分じゃない他人に理解を得ること、相互認識の形成の難しさを歴史に学びながら、戦争によって命を落としたすべての人達の冥福を祈ってみる。

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