また来年、来たるべきその時に乾杯

 父が亡くなってからもう20年近くが経つ。元々病弱で肝臓を患っていた父は私が物心ついた頃にはほとんど飲酒ができなくなっていた。

 そのためビールを飲んでいる父の姿もほとんど記憶に無いし、母の晩酌に付き合ってノンアルコールビールを口にする父の姿が少しだけ印象に残っているくらいだ。

 父はたまに入退院したりもして、「(自分は)長くないから、早く一人前になれよ」などと言い聞かされて育ったため「自分が成人する頃まで父は生きていないんだろうな」と子供心に思ったものだった。

 結局、私が成人して4度目の冬に父は逝ってしまった。

 大学から先は親元を離れて生活していたため、私が父親と乾杯する機会はついぞ起こりえなかった……いや、盆に帰省した際に一度か二度、父の前でビールを飲んだ時に乾杯した気がするがその頃の父はノンアルコールビールすら口にせず、ただただ烏龍茶を飲んでいた。

 父は息子と盃を酌み交わしたかっただろうか? もちろんそうしたくないわけはないと思うが、一体どんな思いを抱いて生きていったのだろうかと父の年齢に近づいてくるにつれ様々な思いが胸に去来する。

 私も幾分か年をとり、盆に実家に帰ると父の弟である叔父や若い従兄弟と飲むことが多くなった。亡き父の思い出話を肴に飲んだりすることもある。盆という事もあり、恐らく父もその輪に加わっていることだろう。しかしながら昨今の難しい社会情勢もあり今年はそれもままならなかった。

 父が果たせなかった息子と乾杯するという望み、自分の代で果たしたくはあるものの現実はなかなかに厳しく難しい。一人でどうこう出来る事でも無いのでこればかりはご縁を気長に待つしか無い。

 「また来年、その時までお元気で」誰に向かって呼びかけるわけではないが、実家から遠く離れたこの東京で私は一人、ベランダで夜空に向かって乾杯をする。

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