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目的まで、完成まで、~までを楽しむ

見て下さってありがとうございます。

整体・栄養学・食養生、東洋医学などから、
”明日が安心してむかえられる世界”づくり
を目指している、 ふじゆかです。

例えば、旅行で道に迷ったとありませんか。

その時、ものすごい綺麗な絶景な場所にたどり着いてしまったり。

予定通りだったら、出会えなかった、予想外や予定外にであったことありませんでしょうか。

その予定外や予定外がかけがいのないことだったり、すごく心に残る出来事になったりすることになったり。

前回に引きつづき、「目的」について脳内に浮かんだことをことばに乗せてみたいと思います。

前回の記事かこちら

今回は、目的までにたどり着く間にフォーカスを当てて、お話させていただきたいと思います。

ただ目的だけを見ていると、そこに向かうためのただの手段になってしまいますよね。

この本ご存じでしょうか。

「ぼくを探しに」 シルヴァスタイン 作 

何かが足りない。
それでぼくは楽しくない…

足りないから、この子はカケラを探しています。この子はずっとかけらを探しています。

かけているからちゃんとコロコロ転がれなくて、
だから、
ぽかぽか日向ぼっこをしたり、お花とお話をしたり、
みみずとお話をしたり、

しながら少しづつ歩んでいます。

でもカケラをとっても探しています。

大きさが大きかったり、小さかったり、

あるとき、ぴったりのカケラを見つけるんです。
そしたら、今度はコロコロ速く走れるようになったのです。

そうしたら、花のによいも感じない。
蝶に止まってもらうこともできない。

この子は自らカケラを手放します。
ピッタリだったカケラを手放すんです。

そして、僕はカケラを探している…
といって、進んでいきます。

この本から、色々な解釈ができると思うのですが、

目的地に行く途中、彼は目的を達成したけれども、途中の手段のところも手段のところもすごく楽しめていたなと感じるんです。

人生の目的について考えるとこに、過程も楽しみたいなと感じます。

宮沢賢治さんの、
永久の未完成 これ完成である

という言葉が浮かぶことが度々あります。

これで完成と思えば成長が止まる。これで完成と満足したところで、何も見えなくなる。聞こえなくなる。

未完成がいいですよというわけではなくて、

完璧を目指さず、

永遠に完成に向かって、前進し続ける未完成 を楽しむ

目的を達成することはうれしいですし、もちろん、目指すところです。

わたしも安心する世界づくりを目指しながら、完成を目指しながら、
日々、未完成のままで完成!であって、その楽しさを日々積み重ねていきたいなと思っています。

手段にとどまらず、未完成の状態もしっかりたのしむ。

ちょっとここ曲がってみようですとか、自分に許可できたり、
関わる人からの、提案やアドバイスを感覚のまま受け取れたり、
そのまま味わうという時間も大切にできるのではないかなと感じています。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

ふじゆかにご感想や、こんな体験があったよとなどなど

メッセージいただけましたら、嬉しいです。

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