更に西へ

箱根に行ってきた。
7ヶ月の次女が少し風邪気味だったが、寝ろと言って大人しく寝ているわけでもないし、どこにいても眠くなれば寝るからいいかと連れて行った。

駅伝の復路の日だった。
箱根に向かう途中で駅伝にぶつかるなあとは思っていたが、どのタイミングで回避すれば良いのか調べてもよくわからなくて、もし交通規制があっても少し待てば進めるだろうと海沿いの道を西へ進んだ。

藤沢を過ぎたあたりで、応援の人たちが沿道に増えてきた。そして、右折出来ないように警察が道路を封鎖し出した。封鎖されたのは反対の車線だった。そうか、こっち側は走らないんだね、と夫が言った。
そこそこのスピードで車は流れる。すると、先頭ランナーが見えた。生で箱根駅伝を見たのは初めてで、興奮する。
母校のランナーを応援しよう、と反対車線を見ながらゆるゆると走っていたが、先頭から5人ほどランナーを見たところで、残念ながら道が分かれてしまった。

箱根湯本手前で渋滞に巻き込まれた。昨年の台風の影響で、不通となった鉄道や道があるからだろうか。
その時ちょうど、radikoから『残酷な天使のテーゼ』が流れ、そういえばここ箱根は作中で首都の予定だったなあ、でもこんな交通インフラの乏しい首都なんか駄目だろう、と思う。

今回の年末年始は、移動中によくradikoを聴いた。年ごとに過去のヒットソングを流す番組があったのだ。

「この曲なんとなく知ってる」
「こんときいくつ?」
「小6だね。」
「まじか、俺高校だわ」

夫と私の歳の差は5年、出会ったときはとうに成人していたので特段意識することもない。が、昔の話をするとその大きさに驚く。
高校生の夫は、まさか小6と付き合うことになるとは思わなかっただろう。

数年分のヒットソングを聴くうちに、売れ筋を良く知っているのは中高生のころだ、ということが分かる。
幼すぎると記憶に残っていないし、二十歳くらいになると、パンクやらジャズやら、自分の興味あるジャンルが出来るので、ヒットソングをあまり聴かなくなるのだろう。

Coccoが出てこないかなあと2000年のを聴いたが、出てこなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?