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目を横に追わせる文章と縦に追わせる文章は、そもそもの世界観が全然違う

#書き方の違いで読者が描くイメージが変わる

常々思っていることであり、
仕事でも手紙でもいざ新しく何かを書き始める時、
どっちがいいかと、いつも悩むこと。

文章の書き方を大別すると、2つになると思っている。

目を横に追わせるものと、目を縦に追わせるもの。横書き文で。

「横書き文で目を縦に追わせる?」...まあまあ、慌てない。

例文を作ると、こんな感じ。
(シーン設定はさて置いて。オリジナルですけど。笑)

・・・・・

横追い:目が横に追っていくような文章

床に脱ぎ捨てられた彼の靴下を拾い上げ、「これはもう捨てた方がいいかな」と呟いた。長年履いているようで、だいぶくたびれてしまっている。
すると彼は眉を八の字にして、「なんでそんなことを言うの」と不貞腐れてしまった。


縦追い:目が縦に追っていくような文章

床に脱ぎ捨てられた彼の靴下。
長年履いているのか、だいぶくたびれている。

指先で拾い上げ、
「これはもう捨てた方がいいかな」
と呟いた。

彼はすぐに困り顔をこちらに向け
「なんでそんなこと言うの?」
と聞き返してきた。

少し不貞腐れているみたいだ。


若干の違いこそあれど、単語から時間軸や関係性はわからなくした

にもかかわらず、

横追いは心情が汲み取り易く、
縦追いは情景が浮かぶように思う。

横追いは定点カメラで空間全体を撮ったような視点に対し、
縦追いは、床→靴下→繊維→指→彼→顔とスイッチしていく。

横追いは2人の間に落ち着きや円熟味すら感じられ、
縦追いは快活で、微笑ましいまでの初々しさが滲む。など

ね?
ぜひ例文の再読を。

「いや、ずるい。だって前者だけ“眉を八の字”とか言っちゃってんじゃん」

違う違う。
困るを“眉を八の字”って表現したからそう感じるんじゃなくて、
横追い文にすると、文体とかリズム的にその言葉を選びたくなる。

すると彼は眉を八の字にして、「なんでそんなことを言うの」と不貞腐れてしまった。

すると彼は困った顔をこちらに向けて、「なんでそんなことを言うの」と不貞腐れてしまった。

ね?
単語を変えても持ってる世界観は変わらない。

だから語尾を「た・だ・である」から「です・ます」にしたって影響なし。

#読み物はテクニックテクニックしない方が楽しい

形状として、横追いは文庫本の小説みたいなものに向いており、
縦追いはWeb画面をスクロールして読むようなものに向いている。

形状として、横追いは文字が詰まって重たく感じるので離脱が懸念され、
縦追いは一文が短く空白も多いのでライトに読み進めてもらい易い。

“形状として” は確かにそう。

でもここで僕が伝えたいのは、
媒体や読者層にとっての向き/不向きで書き方を選ぶかどうかよりも、
そもそも書き方を変えると、空間や人の関係性が変わるっていうこと。

書き方は、その人が表したい世界観やニュアンスに強く影響している。

どっちの方がリアクションが良いとかももちろん大事だけど、
どっちのニュアンスを作って読み手に届けたいのか。

それが物を書く時に一番気にした方がいい、本来のことなんじゃないか。
そうしないと読み物が読み物でなくなって、つまらなくなっちゃう。

文章をテクニックで語るのは広告の世界だけでいい、と僕は思っている。

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