【誰かの独り言】 「相談」と「雑談」と「応援」の不思議な関係

相談するのは難しい。相談したいとは思うが、どうも相談しにくい。
相談しようと思うと、とても億劫になってしまう。

なぜだろうか。
それは「相談のはじめ方」が難しいからではないだろうか。

相談のはじめ方には3種類ある。

1つ目は、Yes/Noや選択式で答えられる設問でのはじめ方。
「これ買ったほうがいいかな」「今の仕事辞めるべきかな」や、「どっちのほうがいい?」など。
ぶっちゃけ、ここまで悩みが言語化されているなら、もはや自分のなかで決まっていることが多い。自分の答えを後押しして欲しいから相談している、というのがこのパターンだ。
逆に言えば、これは厳密には相談ではない。賛同依頼だ。
なので、本来の相談は、ここまで言語化されていないときに必要になる。

次に、2つ目の相談のはじめ方は、状況の提示。
「今こんなことが起きてるんだけど」「こんなこと言われてどうしたらいいかわからない」など、相談したいと思っている気持ちの発生源が分かっているケース。
言い換えれば、悩みの原因が言語化されているが、解決策の選択肢が浮かんでいない。
ただ、このパターンは、解決を望んでいないことも多い。悩みの原因を話したらすっきりした、という話はよく聞く。
つまり、これも厳密には相談ではなく、いわば「王様の耳はロバの耳!」のツボニーズだ。
なので、本来の相談は、状況さえも言語化されていないときにしたいものなのではないか。

なので、相談のはじめ方の3つ目は、「何かよくわからないがモヤモヤする」「なんとなく不安」「このままじゃまずい気がする」などというケース。
実は、これが本当に相談したいときのはじめ方なのだ。
しかし、このはじめ方だと、相談したい相手に、「で?」「何を相談したいの?」と言われてしまう。
状況を言語化したり、選択肢が浮かんでから、しかるべき人に相談しなきゃと思ってしまう。
しかし、そこまでいっているなら、もはや相談ではないのは前述のとおり。
つまり、このはじめ方ができる相手がいるかどうかに、相談できるかどうかはかかっている。状況や選択肢などの言語化を急がず、モヤモヤをそのまま話せる場が相談なのだ。

そう考えると、相談というのは、ものすごく雑談に近い。
いや、1つ目も2つ目も、もはや雑談で解決するのであれば、「相談とは雑談」と言ってもよいのではないか。

「相談者の持つ問いを、相談を受ける側が解決する」というのが相談だというイメージは幻想なのかもしれない。
だから、とにかく話せる場がたくさんあればいい。そんな気がする。

そして最後に、「とにかく話せる場」に最も必要なことがある。それは、お互いへの「絶対的な応援」だ。どんな状態でも、どんな悩みがあろうとも、応援し続けるという関係性だ。おそらくそれがなければ「とにかく話せる場」にはなり得ない。

まとめると、絶対的な応援をし合えるヒトが、とにかく話せるヒトであり、そのヒトとの中で生まれるのが、とにかく話せる場なのだろう。
そして、それが自分の人生で求めたいものなのかもしれない。

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