見出し画像

納豆哀歌

最近、納豆を食べると若干の罪悪感を感じます。

納豆に罪はない。タンパク質も、繊維もビタミンKも摂れるし、美味しい。

英国在住の友人が、コロナで入手できる食材が不足し、大豆を茹でて、苦労して納豆を作っているのを知っているから。

保温状態を保つため、ほぼ徹夜で管理しているらしいし…

こんなに楽して、安くて、食べて申し訳ない気がするのです。

昔は、誰もが食品を作る為の手間暇を知っていたように思います。「おばあちゃんのおやつ」という本には、大豆を炒って挽いてきな粉を作ったり、古い番傘を壊して五平餅を作った話など、沢山載っています。

手間暇かけて、自分達の為に作ってくれた食べ物には、愛情という調味料が沢山入って、特別に美味しいものになっていたと思います。

丹精して作った料理を、提供するだけでなく、作っている場面を見せる事も大切だと思います。食べ物って、こんなに手間をかけて作っているのだということも、知っていて欲しいから。

お金を払えば、何でも手に入るような流通の発達した現代です。それに慣れきっていると、それがないと途方にくれてしまうことになるのでは?

そして何より、作り手が込めた愛情を感じる力を無くして欲しくないから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?