桜を目と口で堪能する

そろそろ、関東では桜のつぼみが膨らみ、場所によっては咲き始めました。梅や桃など春を告げる花は他にもありますが、テレビや新聞で毎年報道されるのは、桜です。

日本人にとって、桜は花を愛でるだけの存在ではありません。葉を塩漬けにして、和菓子に使い、花を塩漬けにして桜茶を作り、花を愛でる品種とは違いますが、サクランボも食べます。

桜の存在を身近に感じたいのか、桜の皮で茶たくや、茶さじ、茶筒を作ったりもしています。私達日本人からすると、普通の事ですが、外国の方からすると「そんなに、桜が好きなのね」と呆れられるレベルではないでしょうか。

ですが、この桜愛好精神は、古来からのものではないようです。万葉集では、梅を歌った歌は多いのですが、桜はほとんどないのです。奈良時代の桜の利用は、もっと実用的なもので、口臭予防のために、桜の葉を口に含んで(多分噛んで)いたといいます。梅の花や桜の葉を口にしていたようで、今流行の、バラの香りの口臭になるタブレットのような効果が、あったのでしょうか。

すべてのものを有効活用する、サテスナブルな江戸の人からすると、桜の葉が落ちていたのをみて、「使わねば」という思いに火がついたのかもしれません。向島の延命寺の門番をしていた山本新六さんが、墨田川に落ちた桜の葉を集めて醤油漬けにし、これで桜餅をつくり販売したのが、桜餅の始まりなのです。これが、色の問題か、液だれの問題かで塩漬けに替わっていったのですね。

長屋のトイレのし尿さえ、肥料として販売し、収益を長屋の補修に利用したりしていた時代です。川に落ちた葉ならば、誰も踏んでいないし、きれいという判断をしたのでしょう。

話はそれますが、カレーに付き物の福神漬け、あれは江戸時代の川村瑞賢の考案です。台風で、野菜を積んでいた船が難破し、野菜が流れ着いたのを見て、これを有効活用しようとして考案したのです。野菜の原価は不要ですから、手間賃と醤油代だけが経費です。流石、15歳で江戸に出てきて立身出世した人は、目の付け所が違います。

江戸の需要政策の一つである治水対策のために、墨田川の整備を行い、景観の為桜を植樹させたのは、将軍吉宗です。この吉宗が隅田川の桜を見るために行幸し、当時考案されたばかりの桜餅を献上したことで、桜餅は有名になってゆくのです。

将軍御用達という名目、今なら、「あの有名タレントも、お気に入り!」というような宣伝になったわけです。しかも、庶民にも手の出ない価格ではない、というのが流行になるポイントですね。いくら美味しいと評判でも、あまり高価すぎて、手が出ないものは、流行にはなりません。とても限られた範囲の、グルメなお金持ちをターゲットにするしかないのです。

個人経営の飲食店でしたら、この限られたターゲットを狙うという戦t法もいいのです。規模の大きくない個人店に、一度に来店できる人数は限られていますから、流行になる必要はないのです。

それはともかく、製法自体がわかりやすい桜餅は、他の製造者も現れて、江戸の流行となったわけです。

同じ桜でも、ロングセラーではあっても、流行にはならなかったのが、十味敗毒湯です。これは江戸時代の外科医として名高い華岡青洲が考案した薬です。これには、桜の皮が配合されています。日本では昔から、民間療法として桜の皮を使っていたようで、これを元に考案したようです。化膿傾向にある湿疹に効果があるということで、今でも使われている薬です。まあ、薬が大流行というのは、その病気が大流行ということですから、薬は流行しない方がいいのですが。

花を愛で、花を食べ、葉を食べ、樹皮を飲むという、桜食べつくし大作戦。確かに、日本人は桜好きだと思います。





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