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私の視界

小さな頃から 見えないものと戦ってきた。記憶は薄れてきているが、ベビーカーに乗っている頃から隣の子が泣くと泣いてしまう子だった。そのせいもあって、5歳くらいまでは極度の人見知りだった。5歳の誕生日月、保育園のお誕生日集会で、先生がかけてくれた「きらりんレボリューション」。私は耐えきれなくなり、ステージ上で歌って踊ってしまった。このことをきっかけに、人見知りから脱した。今考えると、先生は最適すぎる人見知り改善策を決行してくれたと思う。感謝しかない。その後は、察することが得意になった。家族の気持ちや期待、先生や友達の気持ちなどが一気に押し寄せてくるようになった。人見知りだったのは、隣の子の悲しみのように危険だと感じていたものから 自分を守るための代償だったのかもしれないと今は思う。とは言え、人見知りには戻れない。小さな体の私には感じているものは多すぎたし、それを避ける術もなかった。バランスを取れるようになったのは、高校卒業くらいからだと思う。それまでは、この違和感みたいなものをどう伝えたらいいのかも、自己処理したらいいのかも分からず藻掻いていた。

長女あるある

こういった 見えないもの で自分を雁字搦めにしていた私。そんな必要などなかったのに。期待やプレッシャーみたいなものを強く感じてしまうのは、長女あるあるなのだろうか。何となく見ていたTwitterで、長女あるあるでバズっているツイートを発見した。ツイートよりもそのコメント欄を見て驚いた。長女ってだけで、苦しすぎるだろ、おい…見えないものを背負っていて苦しいという声の多さ、そしてたぶんそれを捨てられていない大半。背負う必要のない荷物まで背負ってしまうのは、優しさでもいい子でもなくて、たぶん引かれたレールに乗っていたら、無意識に背負わされていたもので、手放すタイミングを失ったものであろう。

感じるもの

自由に生きたい、レールから外れたいと心が叫んでいるのに、そこをキャッチしてあげる勇気がなくて苦しい。このことに気づいたときには、結構限界まで来ているから要注意。私たちは、見えないものを勝手に察したり想像したりして、自分に呪縛をかけてしまうことができる。そうすると視界のトーンはだんだんと落ちて、曇っていく。本当は、もっとクリアな視界で生活できるのに。私たちの見える世界は、自分の思考が作り出しているものにすぎない。同じ事実は存在するが、目の前に広がる世界の捉え方も考え方も自分次第で変わるとも言えるし、変わってしまうとも言える。つまり、見えないものに対して、こちらから手を離せば不要なノイズが世界から消えるということ。案外、手を離してみても何とかなるし、期待や信頼すら虚構の中に生み出したカタチないものにすぎない。何よりも、大切なのは自分のココロとカラダが何を求めていて、何に動くかということを捉えること。本当に感じるべきことは、外側にではなく、内側にあるのでは?

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